それも「六道輪廻」として語られてきたのだったのだが、浄土教の浸透によって、「日本仏教では『輪廻からの解脱』よりも『浄土への往生』という救済観念」の方が目立ってくることになった。

そうした仏教の伝統を尻目に、川端は、新しい時代には「宗教」に代わって「文芸」が「人間不滅の解決を見出して死を超越するであろう」と宣言した(「『文芸時代』創刊の辞」大正13年㉕第三十二巻)。若い川端は、自分の文芸の中心に、非宗教的=文学的な輪廻転生観を据えたと言ってもいいのではないか。

川端自身が自分で「最も愛している」作品だと記していた『抒情歌』(「文学的自叙伝」昭和9年㉕第 三十三巻)について、研究者の羽鳥一英は「この作品には、早くから死後の生存といったことについて考えつづけてきた川端の、死生観の一つの集成があるというようにも見られる」とした上で、「輪廻転生の悟りの歌が、あまりの愛欲の悲しみの果てに出てきたということ、『火中に蓮華を生じ、愛欲の中 に正覚を示す』ということが書かれている点からは、戦後の『みずうみ』『眠れる美女』などに通じる原型、すなわち『愛欲の果ての悟り、仏界入り易く魔界入り難し』といえるものが出ている」と分析した(前掲、「川端康成と心霊学」)。

『抒情歌』に使われた「火中に蓮華」云々の文言は『維摩経』にある言葉だが、燃え盛る愛欲の火の中に、白蓮華が開花する、すなわち正覚=悟りを得る、というモチーフは昭和36年の小説『美しさと哀しみと』でも使われていて、確かにここでも男女の愛欲(少女愛と不倫、嬰児の死産、同性愛、復讐など)が女性画家の「母子観音像」の絵にいわば昇華し浄化する話が織り込まれている。

ともあれ、日本の古典と仏典に親しんだ川端の作品を理解する際には、輪廻転生の死生観を抜きにしては語れないと思う。

※本記事は、2019年1月刊行の書籍『オールガイド 日本人と死生観』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。