川端康成と輪廻転生的死生観

川端康成(一八九九~一九七二)は、岡本かの子の小説家デビューに一役買った人物だ。彼がかの子の「生命」観に共感したことがきっかけらしいが、三島由紀夫によれば、川端の「生命」観はその官能性の面でかの子の観念的な生命観と違いがあるようだ (「永遠の旅人」昭和31年『決定版 三島由紀夫全集』29巻 新潮社㉔)。

それはともかく、かの子全集の未完成推薦文を残したまま、ガス管を銜(くわ)えて川端は自殺した。

川端には生命どころか死のイメージがいつも付きまとう。芥川龍之介が遺書『或旧友へ送る手記』で用いた語句でもある「末期の眼」という川端34歳の時のエッセイでは、死の直前の眼に映った世界を「あらゆる芸術の極意」と書いているが(『川端康成全集』第二十七巻 新潮社㉕所収)、彼の人生も死と縁深い。

1歳で開業医の父の死(結核)、2歳で結核感染した母の死、康成を引き取った祖父母のうち、祖母は6歳の時に、母の妹宅に引き取られた4歳上の姉は康成11歳の時夭折、そして茨木中学3年の15歳の時には祖父も死んで、孤児になる。しかも、7カ月の早産だった康成はひ弱な体で短命を予感していた。

時代もまた、死の雰囲気を漂わせていた。川端は東大英文科学生だった24歳の大正12年、関東大震災に遭っ た。震災後、芥川龍之介らと一緒に被災地を歩き回り、多くの遊女が逃げ遅れて吉原の池で大勢死んでいたのを見ている。

こうして「死の超越」ということが川端の人生論的課題として現れてくる。川端は『掌の小説』(前掲㉕ 第一巻)の中の『母』という小説(大正15年発表)では「無信仰な時代に生れて、私達は不幸ね。死後の生存について考えない時代に生れて」と登場人物 の女性に言わせているが、死の超越の最適な近道は「死後の生存」の信仰であろう。

川端の場合、それも輪廻転生としての死後生だ。「輪廻転生の教えほど豊かな夢を織りこんだおとぎばなしはこの世にな」く、「人間が作った一番美しい愛の抒情詩だと思われます」と昭和7年の『抒情歌』(㉕ 第三巻)に書いている。「おとぎばなし」と言うのだから信仰に結ぶつくようなものではなかったにせよ、輪廻転生は観念的な「死の超越」の手掛かりにはなる。