「持つと友達ができるからだよ。友達ができると自分の個性が薄くなってしまう」

「意地を張らずにスマホ買いなよ。持ってないと不便でしょ」

「でも百年後に存在するかも知れない、スマホよりもっと便利なものを今みんなは持ってないけど、不便だと感じないよ」

「でもスマホ持ってないとみんなに迷惑だよ」

「それはスマホを持っている人が多数派だからだよ。みんながスマホを持っていなかったら、もっと慎重に待ち合わせ場所を決めるはずだよ」

「スマホを持っている人が多数派ならそれに合わせるべきだよ」

どう言われても悪人はスマホを買わない。多数派が正しいとは限らないからだ。

 一回目の試合が始まった。相手は振り飛車らしい。するといきなり角交換をしてきた。(角交換振り飛車か? いきなり強い相手に、しかも僕の苦手な戦法の人と当たったなあ)と思った。角交換振り飛車とは、本来振り飛車は角交換をしてはいけないのが基本中の基本なのだが、角交換をして戦う、最近はやっている戦法なのである。

しかし違った。どうやら振り飛車は角交換をしてはならないことを知らなかっただけのようだ。序盤に大きなミスを相手がして、そのまま楽に勝ってしまった。その次の試合も定跡にない振り飛車を使う人と当たり、簡単に勝ってしまった。三試合目はまともな矢倉戦になった。覚えたことをいくつか活かせてなんとか勝った。この対戦相手はB級に上がれる力を持っているらしかったが、僕に当たったので運が悪かったと思う。こうして大会は全勝して終わった。

帰りに上杉君が尋ねてきた。

「淳史君ってさ、自殺したいと思ったことある? 僕は生きててもつまらないと思うんだよね」

「どんなにつらいことがあっても、僕は、自殺しないよ。でもそれに近いことはあるな」

「何?」

「僕って一日十二時間以上寝るんだ。起きてるのがつらいんだよね。死に一番近い、寝ている時間が一番幸せなんだよね」

すると、上杉君はこう言う。

「ふーん。僕は六時間くらいしか寝ないけどな」

「それは君が本当は自殺したくないからだよ。かっこつけてるだけだね」

と、いつもしている話をしながら帰った。

それからしばらくして、父と母が別居することになった。僕は母と住んだが、弟は父と住んだ。僕は学校にも家にも居場所を失ってしまったような気がした。将棋部のみんなも信用できなくなっ た。僕の陰口を言っているのではないかとか思うようになった。本当は僕のことをめんどうくさい奴だと思っているのではないかと考えるようになった。悪人は結局、良い人と友達にはなれないのだ。僕はついに引きこもりになり、高校を中退した。

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ある日、JR武蔵野線三郷駅付近の道端で、顔色の悪い二十歳くらいの男性が中学生に「あのう、すみません。定期券、落としましたよ」と話しかけた。

「あ、ありがとうございます」

この二十歳くらいの男性こそが、あの正良君の悪い兄なのである。そして中学生の方は、淳史の生意気な弟なのである。

もちろん、この二人が会う事はこれから先、一度もなかった。

※本記事は、2020年2月刊行の書籍『令和晩年』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。