そして、ブルックナーの第9番。私に楽曲の説明はできないが、弦の最弱音の上に管が静かに入り、高揚していく。

怒濤のあと、泉のような旋律が滾々と湧き出る。ここのところを、私の通夜で流してほしいのである。ブルックナーという老人の、死を間近にした、何という瑞々しさであろうか。

ブルックナーの第9は、オイゲン・ヨッフム指揮、確か「バイエルン放送交響楽団」の演奏で、“すり切れるほど”聴いた。強い思い出がある。

レナード・バーンスタインの指揮で、ブルックナーの第9を聴けるはずだった。1990年7月12日、オーチャード・ホールでは、バーンスタイン指揮のブルックナー第9交響曲が予定されていた。

それが、ベートーヴェンの7番に変更された。大変な落胆であったが、あとになってブルックナーを演奏する体力が残っていなかったのだと理解できた。レニーの命は、そのあと94日しか残されていなかった。

日本へ来る少し前に、レニーがウィーン・フィルを振ったブルックナー第9の映像が残されている。演奏が終わり勿論聴衆へ挨拶はしたのだけれど、異様だったのは、タクトを丁度笏を持つように胸の前にし、楽員の、ほとんど一人々々へと思えるほどに、丁寧に、そして静かに、頭を下げていったことである。

「良い音楽を一緒にできてありがとう。そして、さようなら」、そう告げているように見える。それは『告別』であった。

今日、演奏の終わったあと、長い息詰まる静寂があり、そして爆発した。聴衆はなかなか帰らなかった。

私は間近でバレンボイムという天才を、見ることができた。クラシック音楽に親しんで60年、思い残すことはない。

私の聴力も、辛うじて間に合った。満足である。

※本記事は、2019年3月刊行の書籍『良子という女』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。