要するに新羅の鉄は、周辺の国々の通貨として、市場価値を有していたのである。

しかし寒冷期は、そんな通貨体制を直撃してきた。半島の森林資源は枯渇してきた。

しかし倭国の出雲は、鉄資源の豊富な国だ。樹木の繁茂は無制限に近い。その出雲は近年傲慢さが増して、魏の間接支配から脱しようとする動きが見られる。

今しかない。出雲の鉄をわがものにせよ。東アジアの通貨体制と市場を安定させよ。出雲を叩け。これが魏の意志であった。

これは想像上の政治ストーリーであるが、これまでの知見を総合すると、おそらく当たらずとも遠からず、と思われる。魏の意志に従って、任那の城(ミマキ)から、騎馬民族の大王である崇神がやってきたのである。

そもそもこの筋書きを実行するのに、崇神を支援する立場にある帯方郡(魏)は、これを遂行するだけの余力があったのか。帯方郡の盛衰を見なくてはならない。その盛んな時なら崇神への軍事支援が可能であるが、衰退期にあればその実行すら危うくなる。

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『ユダヤ系秦氏が語る邪馬台国』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。