天才の軌跡③ 海と太陽と鉄――三島由紀夫

さて、これまで私は三島由紀夫がいかに幼児期の母に憧れていたかを書いてきたが、これについて現実面から確かめる。

彼は『母を語る』(潮文社)という随筆中に「紫陽花の母」という小文を書いているが、この中で、「私は長い間、祖母に育てられていたおばあちゃん子だったので、母と一緒に暮すようになってからは、すっかり母に甘えたい気持になっていた……文学というのは結局は自己独立の仕事ではあるとは言っても、母親的な庇護が必要なのだと思う」と述べている。

三島由紀夫が母に拒まれていたというはっきりとした現実の裏付けはないが、先に述べたように母から離されて、祖母のもとで育てられていた事実以外にも五才の時に弟が生まれたこと、そしてこの弟は祖母に育てられることはなく、母親のもとで育てられたことも、重要な意味があったのではないかと思われる。この頃三島由紀夫が罹患したという「自家中毒症」は心身症であり、彼が経験した精神的ストレスを示しているのではないだろうか。

彼はいかにして、この拒まれたものを得ようとしたのであろうか。これを説明するものの一つに、十才の頃まで続いたという女装欲がある。すなわち、母から拒まれた三島由紀夫は自ら母になろうと努力するのである。

この事実については、『仮面の告白』に、「私は、今度は祖母や父母の目をぬすんで、妹や弟を相手にクレオパトラの扮装に憂身をやつした。何を私はこの女装から期待したのか?」とある。また十才以後もこのような傾向があったことは、「丸山明宏にはかなわない」という彼の言葉からも明らかである。

私が海について述べたのは、三島由紀夫にとって海は母の象徴であり、彼は海=母に憧れていたが、これに拒まれていたので、死をもって恕(ゆる)され、母のもとに帰るか、または女装することによって、自らが母親になることによってこの拒みを乗り越えようとしたということである。