小川はその後、村上と組んで、プロレスリングNOAHの三沢光晴&力皇猛組とZERO‒ONEのリングで対戦した。

小川は、その後も、引退から現役復帰した橋本と合体して、橋本の作ったZERO‒ONEのリングで、OH砲として最強タッグチームを作る。

そして、ZERO‒ONEの「真撃」というリングで、小川対藤原喜明戦が実現する。

私は、この頃は藤原がいたUWF(ユニバーサル・レスリング・フェデレーション)というもの自体も知らなかったし、藤原が強いのかどうかさえ知らなかった。かなり歳は取っていることと、“関節技の鬼”ということだけは知っていたので、当時は誰も止められない程、小川は強かったので、私は藤原を応援していた。

藤原はブック破りのパンチ一撃を食らわせると、両足で小川の両手をロックした。これは、小川がなんとか逃れる。更にフジワラ・アームバー(脇固め)で小川を追い込む。グラウンドで背後を取られても、藤原は片足レッグロック、小川はロープエスケープ。しかし、小川はSTOなどを連発して反撃に出る。最後は藤原の執念を見た気がして、なんとか起き上がるが、小川はハンターのようにSTOを決めて、TKO勝利。

すると、バックステージで小川は(藤原はアントニオ猪木の弟子。猪木の弟子という意味では小川と同じ)、「やっぱり、違うね」と、長州や藤波辰爾、新日本に当てつけるように言い放った。私は、これは、藤原は関節を一発で極めてしまえば勝てたと悟った。それを藤原はしなかった。 関節技で秒殺しなかった。プロレスだなと思った。

※本記事は、2020年7月刊行の書籍『アイディア・プロレスコラムDX』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。