(3)モンサンミッシェル

:ところで、作蔵君、安土城は行ったことはあるかい? 天主閣跡までは登ったかな?

N:はい。

:安土城に最初に行ったとき、危うく天主閣跡登頂を断念しそうになった。観光客用の入り口とは反対側から安土山を登ったので、山の中をぐるぐる周るはめになった。どこに天主閣跡があるのか、ほんとうにわからなくなってしまった。

N:安土山の高さはどのくらいですか?

:安土城天主閣は安土山標高200メートルにある。世は平城の時代。秀吉は浅井長政の山城(小谷城)を今浜(長浜)の平地におろして長浜城をつくった。しかし信長は安土山にあえて安土城をつくっている。

N:何か理由でも?

:安土城は史上もっとも美しい聖地を目指してつくられたからだ。安土城が「山城」なのはそのためで、安土城、あれ、モンサンミッシェルだよ。

N:え!

:モンサンミッシェルは「修道院」=「天壇」であり、かつ「軍事施設」=「城」だ。モンサンミッシェルは英仏100年戦争で軍事基地(城)として使われた。フロイスが信長に会ったのは終戦わずか100年後のことだ。

N:モンサンミッシェルは島(サン・マロ湾)に浮かびます。ところで、山城といえば、竹田城、越前大野城、備中松山城です。ちなみにこれらの山城の高さはどのくらいですか?

:竹田城354m、越前大野城249m、備中松山城430m。

N:安土城は200mですが、モンサンミッシェルは?

:モンサンミッシェルは150m。

N:安土城は日本の山城ほどの高さはないので、山城ではありません。しかし平城でもないですね。安土城、中途半端な高さですね。

:安土城のその中途半端な高さはモンサンミッシェルがモデルだからなんだ。

N:……。

:安土「城」にはキリスト教の世界がある。仏教の世界も儒教・道教の世界も、それらすべてをキリスト教ですっぽり包摂している。それが安土城なのだ。

N:少しわかってきました。

:さらに決定的な証拠がある。安土城は「水城」だ。

N:まさか!

:そう。水城だ。琵琶湖の度重なる干拓事業により今現在は水城の面影はないが、当時はしかし安土は「水の都」と呼ばれ、安土山の足元まで琵琶湖が入り込んでいた。安土城は琵琶湖に浮かぶモンサンミッシェルなのだ。

※本記事は、2020年5月刊行の書籍『古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。