(6)富の源泉としての富国強兵と殖産興業

:幕末から明治初期に海外に行った人間は多い。福沢諭吉、渋沢栄一、津田梅子……。

N:政治家では「岩倉使節団」でしょうね。大久保利通も木戸孝允も伊藤博文もです。

:彼らは海外に「行って」海外を理解した。しかし信長はフロイスの話を「聞いた」「だけ」で海外を理解している。

N:ほんとですね。信長は聞いただけで海外を理解していますものね。

:そして信長は西洋文明に対抗するために富国強兵と殖産興業を急いだ。つまり信長は「富の源泉」を完全に理解したのだ。

N:富の源泉?

:信長は地球儀を前にフロイスに質問する。「万里の波濤を超えて日本に来る目的は、盗賊にして何かを得んと欲するか?」

N:信長はキリスト教帝国主義を完全に理解していますね。

:明治新政府は植民地支配での略奪が富の源泉だとの認識だ。だから明治の世は戦争ばかり。戦争に次ぐ戦争なのだ。

N:明治新政府と信長はどこが違うのでしょうか?

:明治新政府のアジア進出は帝国主義だが、信長の頭のなかには明征服まではあったろうか? 信長は領土的野心はそれほどなかったかもしれない。

N:そうでしょうか?

:信長は地球(世界)を知り、日の本が小さい国だと自覚した。そのことを思うと、在命中の信長はおそらく明の陶磁器「のみ」に狙いを定めたことだろう。ダイヤモンドや金は作れない。しかし「茶器」なら簡単に作れる。信長はそこに着眼しただろう。作蔵君、ここらでトイレタイムにしようかぁ。

※本記事は、2020年5月刊行の書籍『古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。