2月11日(木):ブルックナー 交響曲第3番

今日は建国記念日、

バレンボイム・ブルックナーツィクルス第3日、昼公演であった。モーツァルトのピアノ協奏曲24番ハ短調、そしてブルックナーの3番ニ短調、“ワグナー”と呼ばれている交響曲である。

ピアノ協奏曲をバレンボイムは情熱的に弾いた。しかし音はあくまでまろやかである。その程度の印象記しか私には書けない。私はただ聴くだけの人間で、音楽について、楽器にも楽譜にも、何の知識も見識もない。

昨日2番、おととい1番、バレンボイムは譜面を見ながら振った。

今日は暗譜だった。

そもそも私は指揮者がどのように譜面を見るのか、あれが不思議である。見たい箇所へ瞬間にどうして視線が行きピントが合うのか。ぱっとめくるけど、どうしてめくる場面が分かるのか。本当は譜面があろうとなかろうと、全部アタマに入っているのではないか、そう思うのである。

私の前方の一画、それは1階右前方になるのだが、まとまった空席があった。空いた部分の前、つまり最前列、そして左右の通路側は、埋まっている。その中のアンコの部分が、ぽこっと空いている。決して悪い席ではない。普通に販売されたのであれば、このような空き方はしない。考えられるのは、まとめ買いをした、ま たそれのできる何者かが、そのチケットを利用しなかったことである。勿体ない話だし不愉快でもある。良い席で聴きたい人はいっぱいいるであろうに。

1番2番は、小澤征爾さんの指揮で1番を聴いたことはあるが、2番は今回が初めてと思う。

3番については、何度か聴いている。

そのうちの一度、小澤征爾さんの思い出について書く。

2009年12月5日土曜日13時~15時15分に、すみだトリフォニーホールで、小澤征爾さん指揮の同曲公開リハーサルがあった。 リハーサルのあと、小澤さんはマイクを持って聴衆に丁寧に話したが、体が少し折れている感じで、つらそうであった。

翌日12月6日日曜日の新日本フィルハーモニー特別演奏会、ベートーヴェンのピアノ協奏曲1番、そしてブルックナー交響曲3番だった。このとき初めて、上原彩子というピアニストを知った。

小澤さんは情熱的に振り、体の不調を見せなかった。しかし私が小澤征爾という指揮者の音楽を聴いたのは、これが最後である。以後何度か、小澤さんのチケットを買った。しかし私が確保したすべてで、小澤さんの指揮は実現しなかった。

そして私は、小澤さんのチケットを、求めることをやめた。求めて実現しないのも辛いし、実現して十全でない小澤さんを見るのは、更に辛いと思った。

私は、新日本フィルハーモニー交響楽団の、最も古い定期会員である。私より古い定期会員は多くないと思う。私が定期会員になった理由は、「小澤征爾を確実に聴ける」という、それが唯一である。

大分前になるが、小澤さんがテレビの中で語っていた。「自分の表現したい速度で腕が振れない、指が動かない」 座ったまま指揮する指揮者はいる。指揮者にとって、脚よりは手が命なのだと、そのとき私は知った。

※本記事は、2019年3月刊行の書籍『良子という女』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。