第4章 仏教的死生観(3)― 輪廻転生的死生観

「輪廻転生」に関しては改めて取り上げることになるが、以下に取り上げる二人の場合は、伝統仏教的色彩がまだ強いこと、スピリチュアルな死生観に濃厚な「霊界」への関心や、それとの通信可能を疑わないシャーマニズムや呪術に関わる要素がまだ少ないことなどから、それらと区別されるべきだろう。

「桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命(いのち)をかけてわが眺めたり」

ここでは法華経が教えるような、未来永劫に続く「生命」による死の超克とでも言えるような死生観を、岡本かの子を例に扱ってみたい。「生々流転」とは、かの子の小説の代表作(ただし、最終部には夫・岡本一平の手が加わっているとされる)の一つの名であるが、「輪廻転生」的な死生観も暗示するものとして選んだ。

かの子は裕福な家庭に生まれ育ち、文学に傾倒した兄の大貫晶川(しょうせん)に影響されて明治39年の17歳時に与謝野晶子らの新詩社に参加、『明星』の浪漫主義に染まったためか、小説家志望の青年と駆け落ちまでした(前掲⑦『全集』別巻)

その後、彼女は画家・岡本一平と21歳で結婚したが、二人の育ちの違い、夫の放蕩やかの子の実家・大貫家の破産、かの子の恋人、堀切茂雄(私の住む福島市出身)の同居などを含む結婚生活破綻によって精神的な混乱を来し、先ずはキリスト教に、次いで『歎異抄』への共感から浄土真宗に安心立命を求めた(昭和9年「信心の篤い人々の信仰生活座談会」での発言。⑦ 第十五巻)。

次いで法華経、特にその中の観世音菩薩普門品すなわち観音経に信仰の拠りどころを得て、水晶の観音菩薩像を持仏として身から離さなかった。後に彼女は啓蒙的仏教論者として知られるようになるが、大正10年頃から当時の仏教学者で真宗門徒の高楠(たかくす)順次郎の指導を得て仏典を閲読した知識がその基礎をなしているだろう。

「桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命(いのち)をかけてわが眺めたり」(歌集『浴身』大正14年より⑦ 第八巻)など、生命と愛の表現をテーマとした歌人として名を広めていた彼女は、昭和に入ると、仏教的エッセイを主とする『散華抄』を、ついで西欧旅行を間に挟んで、釈尊生誕二千五百年の年に当たると言われた昭和9・一九三四年には、『総合仏教聖典講話』(のち『光をたずねて』と改題)、『観音経(附、法華経)』(のち『観音経を語る』)、『仏教読本』(のち『仏教人世読本』)などを矢継ぎ早に書き下ろしている(これら仏教関係書は⑦の第九巻、第十巻 所収)。

これらの著述で彼女は「宇宙の大生命」をしきりに言う。「『諸法実相』の理法が示す当体即ち宇宙の大生命は、無限の寿命、無窮の大さ、無尽の働きを持ち、(中略)その存在状態は、放てば天地万有となり、収むればわが肉体精神である」。

それを人格化したのが、法華経の場合「久遠実成(くおんじつじょう)の釈迦牟尼仏」であり(『観音経(附、法華経)』)、真言密教では大日如来、浄土教では阿弥陀仏というのだ、と(『総合仏教聖典講話』)。

端的に言えば「無限の宇宙生命と、有限の個人の生命と、全く一つのものであ」る。「仏教では、人間の死を宇宙の大生命の方面から見まして、ただの変化、当然の里がえりだと見破りましたので、仏教を知らない人のように、死に臨んでうろたえ騒ぐことがありません。従容として根本生命に復帰します」(『仏教読本』)

※本記事は、2019年1月刊行の書籍『オールガイド 日本人と死生観』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。