浄土宗の教えは、念仏を唱えれば西方十万億土にある浄土で往生できると説く教えであり、言い換えれば、この世では幸せを摑みたいという願いは叶わない。今世は諦めろということになります。悩みが絶えず尽きない、諦めの人生を送ることになるのだとのことでした。

浄土宗はいうなれば「諦めの思想」であり、衆生や社会を混乱させ人々を不幸にする根源で、その誤った教えに原因があるのだということを、伯母は父に話すのでした。

その後、教えを学んでいく中で、念仏の害毒により「自害の心」が生まれてくると知りましたが、父もまたその宿業に苛まれていき、私自身も四十数年後、「この苦しみから抜け出すには、もう、死ぬしかない!」という言葉を口にするに至るのです。

私は「両親の愛情を目いっぱいに受け、心が満ち足りた想い」というものを感じられずに育ちました。いつしか自分というものに自信がなく、「諦める」という心が、染み込んでいたのでしょう。

伯母は、信心が体であり、生活の姿が影にあたるのだということを、父に話してくれたそうです。父を旧制中学で勉強させるために、伯母は学校へも行けなかったのですが、そんな伯母のいうことを、父は、始めは「信仰なんて、学問のない人や弱い人間がやるものだ」と、軽く馬鹿にしていたそうです。

父の疑問や反論に躊躇なく自信を持って答え、理路整然と悉く説き伏せる伯母の姿に、「この宗教は自分が今まで考えていたものとは何か違うのではないか」と心に感じて、伯母の勧めに従って信仰すると決めたのでした。