クローンにせよ核兵器にせよ人工知能にせよ、テクノロジーは大目的の一旦の完成を見たとき、それを用いる人間に、主に倫理面からの柔らかい考察を切に求める。

戦争は、核兵器の出現によって破壊力に於ける極限化を見た。

自由経済競争は、人工知能の出現によって速度と精度の極限化を見た。

テクノロジーがアクセルを踏むものなら、そこにブレーキを掛けるのは人間の知性だ。人工知能に、経済市場の発展の山の頂は見えても、その山の梺に暮らすそれぞれの人々の営みの姿は見えない。

営む人々の個々の顔は見えない。数値の最適化は速度を増すことは出来ても、案配を加味してブレーキを上手に踏む機能を持たない。

尊厳や存在論などという荘厳で曖昧な観念を持たない怜悧冷徹な眼差しを以てしても、人間が核兵器という完全無欠の破壊具を手にしたとき、人倫をいくら説いても止まなかった戦争を、戦争によって得られる利益と失われる利益の単純な利害計算で見て遂に(あくまで世界大戦規模ではの話だが)抑制するに至ったように、人工知能たる完全無欠のシステム推進力を人間が手にした今、それによって“得られる利益”と“失われる利益”を秤にかけて、後者が大きいと判断されるかもしれない。

ただしそれでも、一部の者だけが手にし、国家の合意で削減や廃止がされる核兵器とは異なり、大多数の人間に開かれ、現に利用に供されている人工知能の禁止をすることは叶わない。自由主義経済に於いて多くの消費者に受け入れられていることは、確固たる是(ぜ)だ。

故に、我々一人一人が、意図・目的に日々追われ自らを厳しい競争の渦(うず)に曝しながらも、合目的的フィルター以外の目も持ち、その眼差しでそれぞれの世界にそれぞれの人間の姿を見出すことが出来るかに、これからの世界の向きは委ねられている。それを決めるのは、我々一人一人の心なのだと、私は信じる。

ザムザ家族はグレーゴルの衰弱死によって実存の重みと向き合う重苦しさから解放された。カフカの『変身』の冒頭の引用に始まった前編の最終項は、同じく『変身』の終尾の引用に締めたい。

「ザムザ嬢が真っ先に立ち上がって若々しい手足をぐっと伸ばした。その様子は、ザムザ夫妻の目には、彼らの新しい夢とよき意図の確証のように映った。」

※本記事は、2018年12月刊行の書籍『人間を見つめる希望のAI論』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。