また、妹をあやすとき、当時学校ではやっていた歌があった。

「カエルのおみこし楽しいな。ワッショイ。ワッショイ。ワッショイ。ショイ」と歌いながら抱いてあやすとケラケラと声を出して笑ってくれた。

祖母から、
「正夫は、保母さんみたいで、あやすのがほんとに上手になった」
とまた褒められた。

なつく妹と一緒にいると、こんなに楽しい時を過ごさせてくれるのかと思った。

また、妹は、棚橋家の宝物で家族みんなから愛されていた。

祖父母は、育ち盛りの私や妹の食べる物には家計が苦しい中でも最優先で食べさせてくれた。

そして、私に、もう一つ嬉しい想い出がある。

妹の面倒をよく見たご褒美に、欲しかった憧れの自転車を買ってもらった。

当時、自転車を持っている子供は殆どいなかった。

当初は、転倒防止用に後輪に補助輪が付けられていた。

妹が寝ているあいだ、初めは、自宅前の道路で練習していた。

祖父から、
「道路は危ないから二輪で乗れるようになるまで公園で練習しなさい」
と言われた。

学校から帰ると妹にミルクを飲ませた。習慣化したのかお腹がふくれるとすぐに眠ってくれた。二~三時間眠るので、その間、近くの公園で毎日自転車の練習に励んだ。

すぐに二輪で乗れるコツを覚えた。そして補助輪を外してもらった。

初めのうちは、何回か転倒もしたが、間もなく安全に二輪で乗れるようになった。

祖父に見てもらった。

「上手に乗れるようになった。もう道路で走ってもよろしい」
と祖父から褒められ許可が出た。とても嬉しかった。

「何事も一生懸命やればできるんだ」ということを学びとった。

当時の道路は、砂利道で舗装はされてなかった。自動車は、お金持ちしか持っていなかったので殆ど通らない。時折、牛車や馬車がのんびりと荷物を運んでいくのどかな時代だった。

毎日、自転車で走り回るのが楽しくてしようがなく、あちこち走り回り、いろいろなお店がどこにあるかも一番良く知っていた。

祖母から「豆腐」や「野菜」を買ってきてとお使いにも行かされるようになった。

お金のやり取りやお釣りのことも覚えた。

「正夫がいるから助かるわ」
と言われ、私は、祖母の家事にも大変貢献していた。

好奇心旺盛でわんぱく坊主の私だったが、

今から思えば小学生としては、できすぎるぐらいよくやったと思う。

そして、素直で家庭的な少年でもあった。

※本記事は、2020年8月刊行の書籍『戦争を知らない君へ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。