第1章 認知症の改善のために行った工夫

6 テレビ

【第4回】で述べましたが、テレビを母親一人で見るようにするのではなく、家族が一緒に見て画面を見ながら、画面をきっかけに楽しい話題を作ってたくさんおしゃべりしました。母親にとって、テレビでの一番の楽しみは年6場所の大相撲でした。毎回テレビにくぎ付けで見ていました。

最初のころは何となく見ていたのですが、認知症が改善してお相撲さんの名前が覚えられるようになるとそれこそ夢中になりました。難しい漢字も徐々に読めるようになりました。

「遠藤は歌舞伎役者のようないい男ね。なんでお相撲さんになったのかしら?」
「鶴竜は博多人形みたいにぽちゃぽちゃ。とてもいい顔」
「白鵬は風格が日本一」
「嘉風は下唇が出ていてとてもかわいい」
「安美錦は仏様のようないい顔」。

このような具合にそれぞれの力士の特徴をとらえていました。私が一番驚いたのは画面の力士名を見て「次は御嶽海ね」と言った時でした。「みたけうみ」と読めたのです。

お相撲の話題はとてもいいので、私は両国の国技館のお店に行って、母親が好きな力士の絵の入ったタオルを数枚、行司の軍配、呼び出しの拍子木、幟のぼりのミニチュア、を買ってきて部屋に飾りました。拍子木を鳴らすと「とても澄んだいい音」と喜んでいました。

また、幟の高安の字を見ては、「私たちが長く住んでいた土浦出身ね」としきりに応援していました。土浦の近くの牛久出身の稀勢の里も大好きでした。

テレビのリモコンも脳にとっていいようです。100歳になっても自分でリモコンをオンにして、いろんな番号を押して気に入った番組を選んでいました。相撲、笑点、のほかニュース、野球、柔道、剣道、体操競技が好きでした。

誰でも興味がありますが、オリンピックの時は、どの種目も一生懸命見て日本の選手を応援していました。体操の内村選手、アイススケートの羽生選手は特に好きでした。真面目な顔で「お相撲さんは羽生選手のように格好よくアイススケートはできないよね。跳び上がって足をついたら氷が割れてしまうから」「お相撲さんの大きなおなかの中には何が入っているのかしら」など時々面白いことも言いました。

また高校野球も大好きでした。特に、母親が育った家の前の道を作新学院の生徒が通学で使っていたとのことで作新学院が甲子園に出ると応援が大変でした。「江川の時は強かった」。4年前の夏は、「優勝できてうれしい。日本一ね」など、会話が弾みました。

気に入った番組が終わるとリモコンのボタンをカチャカチャ押して好きな番組を選びました。気に入らないとすぐに変えました。

母親が選んだ番組を見ながら、いろいろ一緒に雑談をすることは頭の訓練にとてもよかったです。夜、寝る時間になるとリモコンのボタンをちゃんとオフにしていました。大したものと感心しました。

※本記事は、2020年8月刊行の書籍『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。