見合いのあと三日とおかず、父は仕事終わりの母を待ち伏せして、勤め先の病院の前や実家の長屋の前で……、さしずめ、今であるなら間違いなくストーカー規制法でつかまっているだろうというような手で強引に母を口説き落とし、わずか二ヶ月ほどで見事結婚(りゃくだつ)したという次第だ。

[写真2] 嫁ぐ日

かくして、末っ子の甘えん坊だった母は七人の義弟妹(ぎていまい)から“義姉(ねえ)さん”と呼ばれる身となり、竃(かまど)に火をくべ大釜に米をとぐことから始まる新しい暮らしを営みだした。まるで家政婦になるために嫁にきたようなものであるが、当時はそれが当たり前と思い不満など口にする女もいなかった時代、母もまた例外ではなかった。

病院で働いた自分の給料は封も切らず姑に預け、わずかばかりの生活費をもらう。そして、底の知れた財布の中から義弟妹たちに菓子を買ってあげたりもする……。けれど、その後に待ち受ける暗雲を思えば、それはまだ序章とも言える穏やかな一時期であった。

[写真3] 1959年、鬼怒川温泉に新婚旅行
※本記事は、2020年7月刊行の書籍『ありがとうをもう一度』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。