N:安土はアジアのローマですか? もしかして安土城はサン・ピエトロ大聖堂なのですか?

:その辺の話は後ほどあらためてしよう。しかし信長の意識は「キリスト教vs仏教」であろうはずはない。仏教勢力など、はなから眼中にないのだ。すべてをキリスト教で作り変える決断なのだから。仏教、神道、天道思想、すべてクソくらえ! きれいごとでは、戦国の世は、平和にならぬ。まして堕落した延暦寺や石山本願寺は殲滅する。

N:利家の「根切り」、「釜煎り」の極刑を思い出しました。

:まつが利家の地獄行きを心配して経帷子(死者に着せる白い着物)を着せようとする。「わしは理由なく人を殺めたことは一度もない。この帷子はわしには不要」。

N:利家の言葉、この文脈でこそ眩い光を放ちます。信長のキリスト教による新しい国造りを、利家は完全に理解して、「神」信長の意思を忠実に実行していることがわかります。

(3)信長は政治家としてキリシタン

:新国家造りに仏教を利用する聖徳太子と、キリスト教を利用する信長はとても似ている。

N:しかし信長はそもそもキリシタンですか?

:秀吉も家康もキリスト教禁教令を出すが、信長には禁教令がない。信長は「政治家としてキリシタン」だと思ってもらえばいいかな。

N:政治家としてキリシタン?

:新国家造りに信長はキリスト教を利用した。キリシタン外交を行い、宣教師たちと深く交流した。信長は彼らとの交流は天下人の仕事だと思っていたのだ。

N:キリスト教での新国家建設とは、具体的にはどういうことでしょうか?

:たとえば楽市楽座など、資本主義や重商主義の経済政策で日本を造り変える。それらはフロイスからの着想で、フロイスは信長に戦国を終わらせる勇気と希望を与えたんだ。

N:さらに具体的にお願いします。

:まず宗教勢力から既得権を奪取する。次は「自由化」と「活性化」。「規制緩和」と「新規参入」。「楽市楽座」、「関所廃止」、「道路整備」、「水運」。そしてもう一つ……。

※本記事は、2020年5月刊行の書籍『古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。