天才の軌跡① フロイトの疑問

これらのことは、フロイトが自己分析で到達した深層、エディプス・コンプレックスのさらに奥深くには死による母親との再融合を望んでいるもの(オットー・ランクの胎内回帰願望)がひそんでいたのではないかと考えさせられる。彼がエディプス・コンプレックスを説きながら、エディプス王の完全な分析をしなかった(彼はエディプス王の足の傷について分析しているが、自分の目を刺す行為についての言及はない)のも、彼は自身の心の最深層に触れるのを恐れていたためではないかとも思われる。

そして彼がコカインの使用法として目の麻酔を示唆し、犬の眼球の摘出実験を手伝っているのも、彼の潜在意識中に視覚に対するうらみ(自身と母親が異なった二つの個体であることを意識させる器官としての目に対する)と関連しているのではないだろうか。また、オットー・ランクとの離別も、出産外傷説が、フロイト自身の最も根深い葛藤に触れることが一つの原因ではなかったかとも考えられる。

自身の死への誘惑を明確に感じていたフロイトは、これを説明するものとして死の本能という仮説を提案している。そして死の本能の機能は生物がもとの無機物の状態にもどることによって得られる緊張のない世界にもどることにあるとした。

この説には少し無理があるようで、フロイトの弟子たちもついてゆくことができなかったらしいが、これもまた、フロイトが無意識的に彼の母に対する愛着の強さを知ることを避けていたことと関連するのではないかと考えられる。言い換えると、この仮説は先に述べたように、死が潜在意識では母親との再融合を意味するという説を受け入れることができなかったために作られた仮説であると言えるかもしれない。

このような死への強い誘惑にもかかわらず、フロイトは、それに対して敢然と闘っている。

一九二三年四月の終わりに彼は耳鼻科の医師に口腔内の白斑の診察を受け、その医師に手術を勧められるとすぐ癌であることを察し、苦しんで死ぬようなら「見苦しくなくこの世から消え去ること」を助けてくれないかと頼んでいる。しかし彼はこの手術以来一九三九年に八十三才で死亡するまでに三十三回の手術に耐え、この間かなりの量の著作をものにしている。

一九三九年九月には癌は進行し頬をやぶり、化膿がひどかったという。そして九月二十一日に彼は主治医であったシュールに生を終えることを助けてくれと頼み、モルヒネの注射を受け翌々日昏睡のうちに死去している。

フロイトの遺体は火葬されたあと、彼の患者であったナポレオンの弟ルチアン・ボナパルテの孫娘である、マリー・ボナパルテから生前に贈られ、大変気に入っていた古代ギリシャのつぼの中に入れられ埋葬された。つぼが子宮の象徴であると解釈すれば、彼の潜在意識の願望は満たされたと言えるかもしれない。

※本記事は、2019年6月刊行の書籍『天才の軌跡』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。