一、大きな影響を受けた祖父母について

最初に、戦時の苦しい生活に耐え、孫である私と妹を我が子のように可愛がり大事に育ててくれた尊敬する祖父母について語っておきたい。

祖父は、一八八八(明治二一)年生まれ。

物知りで情報通で、性格は頑固で意志強く正義感に溢れた行動派だった。どんなときで も、冷静沈着で正しい判断を下す人だった。そして、家族をとても大切にした。

幼い私には、恐くて厳しい存在だったが、根は優しく包容力があった。

大正末期に、NHKが、日本で初めてラジオ放送を開始した。祖父は、三〇代後半。これからの日本は、ラジオ全盛の時代になると予測した。

独学でラジオ技術をマスターしラジオ店を開店した。鉱石ラジオ(注一)や真空管式並四ラジオ(注二)を組み立てて売りだした。それが飛ぶように売れて店はとても繁盛した。

しかし、その商売の無理がたたり、目を患い(緑内障と思われる)四〇代後半から視力が落ちはじめ仕事ができなくなった。やむを得ずラジオ店を閉店した。

右目は何とか見えたが、左目は殆ど見えなかった。そして、若くして隠居生活に入った。

祖父の日課は、毎日、ラジオのニュースを聴き、アナウンスを復唱して頭に入れていた。また、不自由な片目で毎朝、根気よく新聞を読み通し世の中の情報を仕入れることにも余念がなかった。

何よりも先見力と説得力に優れ、棚橋家の相談役的存在で家族を統率した。

家族は、祖父に一目置き、ご意見番として信頼と尊敬をしていた。

聡明な祖父の存在のお陰で、家族はまとまりその絆はとても強かった。

そして、目の悪い祖父の側には、いつも祖母が寄り添い身辺の面倒を見ていた。

祖母は、一八九六(明治二九)年の明治生まれだった。思いやりと優しさを持ち芯の強い京女で、祖父と共に苦労を乗り越えてきただけに根性と辛抱強さは人一倍持っていた。

いつも目の不自由な祖父を献身的に面倒をみて、喧嘩しながらも模範的な夫婦愛を感じさせた。

私は、祖父と同じくらい大好きで祖母あっての棚橋家でもあった。

※本記事は、2020年8月刊行の書籍『戦争を知らない君へ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。