第1章 認知症の改善のために行った工夫

4 部屋の工夫

また、母親の生まれ育った近所の今宮神社の写真、お札、お箸も飾りました。今宮神社のお札を見ては、「秋祭りが素晴らしいの。彫刻屋台がたくさん出て今宮神社と町を練り歩くの。屋台の彫刻は日光東照宮を彫刻した人たちが、日光での宿が十分になく、近くの鹿沼で泊まっていて、東照宮の彫刻が完成して故郷に帰るときお礼に彫ってくれたの」との説明。

さらに「自分が子供のころ町内の屋台を引く役を頼まれたけど、厳しいお父さんが『娘にはそんな役させられない』と断ってしまったの。残念だった」と、つい最近の出来事のように話を続けました。100歳を過ぎて記憶のよさには感心しました。

このように部屋にいろいろ置いたり、飾ったりすると、おしゃべりのネタに使えました。

また、母親は夫婦での海外旅行が大好きでしたので、気に入っている旅行先の写真を大きくして壁に数枚貼りました。例えば、私が、周りが雪山で夫婦が映っている写真を指さして、「これはどこ?」と言うと、「お父さん(夫)とスイスの山のてっぺんで撮った写真。 寒くて息をするのが大変だった」と返事があります。別の写真を指さして「これは?」と聞くと、「シンガポールでお父さんと一緒にチャイナ服を着ているの」。このような会話ができて、記憶の維持と改善に役立ちました。

ある時、突然、母親が、月の沙漠の歌を歌い始め何度も繰り返しました。すぐにインターネットで月の沙漠の歌のもととなったところを調べ、千葉県の御宿海岸と分かったので、早速電車で行ってみました。お土産屋さんで王子様、王女様がラクダに乗っている壁かけの絵を買って、帰宅すると、部屋の壁にかけました。

砂浜を2頭のラクダが悠然と歩いている素晴らしい絵で、母親は非常に気に入って、毎日のように絵を見ては月の沙漠の歌を歌いました。私自身、月の沙漠の歌の原点が御宿とは知らず、行ってみて砂の上に立っている王子様と王女様が乗っている2頭のラクダの像を見て感激しました。

最後になりますが、高崎の達磨寺でいただいてきた親子のだるまさんをミニ箪笥の上に飾りました。親は40センチと大きなものでした。無事健康で新たな年を迎えるたびに、お正月明けに母親が墨をつけた筆で目を入れ、私はお礼に達磨寺を訪れ、新たなものをいただいて帰ってきました。

母親には、「親子のだるまちゃんが、お母さんが一年間病気にならないようにしっかり見守ってくれてるよ」と言うと、「有り難う。だるまちゃんかわいい顔してるのね。口の下に『福』の字があるのが嬉しい。福田(母親の旧姓)の『福』だし、幸福の『福』だから」と嬉しそうに言っていました。

[写真1]親子のだるまちゃん
※本記事は、2020年8月刊行の書籍『認知症の母を支えて 103歳を元気に迎えるまでの工夫』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。