第二部

十一

修右衛門は屋敷に入るなり、その広さに目を丸くした。

「純之助殿、ご立派な屋敷、感服いたした」

当時、一般的な武家階級は、豪商や豪農に比べれば、ほとんどが質素な暮らしをしていた。経済力に差があったからである。修右衛門の屋敷も武家屋敷の中にあるひとつで、庭つきだが、やはりここと比べれば見劣りがする。純之助に案内されて物珍しげに屋敷内を見て回ったのであった。

そうこうしている内に、夕餉の支度が整い、客間にて一席設けられた。

急なことで特別なご馳走とは言えないが、それでも、修右衛門にとっては普段口にできないようなものだった。特に、白米は農家だけに新鮮で特別な味をしていたから何杯もお代わりをするほどだった。

実は、この席に年頃の成年に育っていた佐四郎も呼ばれて、酒の相手をさせられていたのである。

「純之助殿、いいご子息がおありで、お楽しみだろう。実は、当家には 二人の娘子がいてのう、一人はすでに嫁いでいるが、もう一人は、最近、相手が決まって近く嫁入りする予定だ」「もっと早く知っておれば、佐四郎殿を婿にとお願いしていたかもしれない」

「いやいや、それはもったいない話。第一、格が違いすぎますからな」

純之助は、意外な言葉にあわてたように言葉を返した。それは、もっともな話で、渡辺家はれっきとした高梁藩の武家で、藩内でも名の通っている家系らしい。

その経緯はよく分からないが、修右衛門の奥方は、足守藩主一族の木下権之助の長女であることを、茶会の席で聞かされていたのである。いわば藩主一族のお姫様をもらったということだ。

一方の修右衛門も、純之助の家系が、京で「北面の武士」をしていた右京ノ介の血を引く末裔で、農民とは言え、郷士という武家と同じ苗字帯刀を許された家柄であることを純之助から聞かされ、よく知っていたのである。

食後、別部屋の茶室に移り、そこで佐四郎の点てたお茶を口にしながら、またまた彼は佐四郎の立ち居振る舞いに感心したのであった。

「お若いのに、茶道の作法を立派に会得しておられる」

かくして、その一夜は過ぎ、翌朝は、雨後の透けるような青空をした快晴の朝を迎えた。高瀬舟の運行再開もまちがいなさそうだ。

「いやいや、これは大変な歓待を受けました。お礼の言いようもありません。痛み入ります。いつか、拙者宅へもご招待いたしたい。ぜひとも佐四郎殿といっしょに来て下され」

修右衛門は何度も頭を下げながら、川辺の川港に帰っていったのであった。どうやら、佐四郎は相当気に入られたらしい。

※本記事は、2019年8月刊行の書籍『高梁川』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。