第3章 仏教的死生観(2)― 法華経的死生観

第2章で述べた浄土教的信仰の布教に大きな功績を残した源信や法然や親鸞らは、日蓮や道元らと同じく、比叡山の天台教学を学んでいるが、その天台宗の開祖である中国の智顗(ちぎ)は『妙法蓮華経』つまり『法華経』を根本経典とした。日本においても法華経の影響力は大きい。

田村芳朗『法華経』(中公新書 一九六九年)によって法華経の特色を整理すると、一つ目は「一乗妙法」だ。これは、宇宙内のすべての存在・生起が十如是と呼ばれる関連の網の中で統合されているという真実を表した言葉で「諸法実相」とも表現される(※ 補註参照)。

二つ目は、現実の釈迦(釈尊)は、実は永遠の昔から悟っていた仏(久遠仏)=法身(ほっしん)仏(真理仏)であり、将来も永遠常住の仏なのだという考えだ。しかし、「法身仏」では人々の目に見えないため、人格的であるとともに修行を完成した理想的な仏、例えば阿弥陀仏などの「報身仏」(=修行の報いとして身体を持たれた仏)が考え出される。

すると、その前身である修行中の「菩薩」(=「求道者」の意)が想定されてくる。例えば阿弥陀如来の前身である法蔵菩薩などだ。こうして、三つ目に、法蔵菩薩のほかにも観世音菩薩など様々な菩薩が登場し、女性を含めた一般民衆を救済する利他行としての「菩薩行」の精神が強調されることになる。

その菩薩行に深い意味を見出した人々が親鸞や日蓮や以下に取り上げる宮沢賢治たちなのだが、ともあれ護持するだけで「功徳」があるといわれたこの法華経も日本人の死生観に深い関わりがある。

※補註……ひろさちやは、生物はもちろん「この宇宙 の森羅万象がすべて存在理由を持ってい」て、しかも人はそれらに頼って生きているから、「すべてを仏の命の分有者として拝むべきである」と解釈している。(『はじめての仏教』中公文庫 二〇〇一年)

第1節 観音経と死苦の除去

『法華経』の中の「観世音菩薩普門品第二五」の章を独立させて「観音経」と呼ぶ習わしがある。

この観音経には、観世音菩薩の名号を一心に称えれば、火難・水難などあらゆる災難をまぬがれ、自分を殺そうとする刀も自分を繋ぐ手枷・足枷も破壊されるとか、人徳・智慧ある男児や端正な顔立ちの女児の出産も可能だ、などと書かれてあり、後半の「偈頌(げじゅ)」は「観世音の浄聖(きよきひじり)は苦悩(くるしみなやみ)と死厄(しのわざわい)とにおいて能(よ)く為(た)めに依怙(たより)と作(な)らん。云々」(岩波文庫、 坂本・岩本訳注 一九七六年)という語句で終わる。死の災厄までも乗り越えられる、というのである。

こうした現世利益の教えもあったせいか、「わが国の観音信仰は、古くは聖徳太子の夢殿観音以後、上下に盛んに信仰され、平安時代には、長谷寺・清水寺・石山寺をはじめ、西国三十三所観音の流行となり、鎌倉時代には、三十三間堂に千一体の観音様が並び」、観音菩薩の住所「補陀落」は熊野の那智山が当てられたから「熊野の信仰が全国的になった」(前掲④)。

江戸時代には「朝に観音、夕に薬師」の言葉の通り、18日の観音菩薩の日には朝に、8日の薬師菩薩の日には夕方に参詣する習慣があった。

ところで、中国における子供を抱いた「慈母観音」の影響か、観音信仰は特に女性に多く、子安観音、子育観音、あるいは切支丹におけるマリア観音などの信仰も生まれた。

例えば、堺利彦(一八七〇~一九三三)は「母は又、観音様信仰で、毎晩お燈明をあ げては口の中で観音経か何かを誦(ず)しながら拝んでいた。そして毎月17日の晩には、必ず錦町の観音堂に参った」(堺利彦「堺利彦伝」『日本現代文学全集32 社会主義文學集』講談社 昭和38年 所収)と回顧している。

正宗白鳥(一八七九~一九六二年)も、自分を溺愛した祖母について「祖母は一念発起して、剃髪して、毎朝仏壇の前で観音経を読んでいた。私もそのそばに坐って、口まねをしていた」(「幼少の思ひ出」『正宗 白鳥全集 第二八巻』福武書店 昭和59年 所収)と語っている。

※本記事は、2019年1月刊行の書籍『オールガイド 日本人と死生観』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。