私(西野鉄郎)は高校生に英語を教えています。N(西野作蔵)君は私の塾のOBです。上智大学の2年生で、ロシア語を専攻しています。帰省中の冬休みのある日、私たちは茶房古九谷(九谷焼美術館内)で会いました。話は弾み、3日連続で、「織田信長と古九谷」について話し合いました。

1日目 新信長論 利家と信長

『国盗り物語』(司馬遼太郎)、『織田信長』(山岡荘八)によって植え付けられたイメー ジはなかなか払拭できませんが、本章(1日目)はこうした織田信長像からかなりかけ離れています。小説ではなく、一種の論考のような内容を持っている本作品の導入部としては、読者の興味を引きつける内容です。

金保有 利家0.3トン vs 家康1トン vs 秀吉300トン

私:ところで『黄金の日本史』(加藤廣)によると、関ヶ原の前、家康の金保有は1トンだ。しかし関ヶ原の後、100トンを伏見城から奪い、大坂の陣の後、200トンを大坂城から奪うんだぜ。

N豊臣家には300トンもの金があったのですか?

私:そうだよ。当たり前じゃないか? だってそうだろ?  家康の正室は秀吉の妹で老女(44歳)だ。家康の跡継ぎ徳川秀忠の嫁(江、23歳)はバツ2で2人の子持ち。秀吉は平然とそんな年増を家康と秀忠に押し付けるんだぜ。そんなむごい仕打ちにもがまんしなければならない徳川親子。それほどの差が豊臣と徳川にはあるんだ。

Nじゃあ、前田は?

私:利家の遺産(2万両)から推定すると、前田は0.3t。関ヶ原前の徳川の3分の1もないんだ。大坂の陣後では徳川(301t)と前田(0.3t)。ゼニの力のすさまじいまでの格差に、ただただ絶句するなぁ。

織田三代

(1)信長は信定・信秀のゼニの経済を継承する

私:さていよいよ本丸の織田信長に入ろう。まず織田三代から始めよう。織田三代とは信定(祖父)─信秀(父)─信長で、信定は10万石で、信秀は30万石だ。

N信長は石高でも恵まれていますね。

私:そして信長は信定・信秀のゼニ経済(金銀発想)を継承する。ゼニは神社と湊(港=物流の拠点)にある。そのゼニのために信定は津島湊(津島神社の門前町)の商家に娘を嫁がせる。信秀も同じで、熱田湊(熱田神宮の門前町)の商家に娘を嫁がせる。そして妻や側室さえも熱田から迎え入れている。織田三代は信定があって、信秀があって、そして信長へとなだれ込むのだ。

(2)聖地熱田と津島

N:さすがゼニ経済の織田三代ですね。打ち出の小槌(資金源)の確保ですね。桶狭間の必勝祈願は熱田神宮でしたが、熱田は湊だったのですね。でも津島湊の話は初めてです。しかしこの話、信長の堺の直轄と瓜二つですね。

私:信長が安土城を提灯でライトアップする話があるよね?  あれは津島の天王祭をまねたものだ。また安土城の摠見寺の住職は津島神社から招いているんだ。

N津島に強い思い入れがありますね。

私:長篠の戦いでも、信長はわざわざ使いを熱田神宮に派遣して、戦勝祈願を行わせている。熱田や津島は織田三代の聖地なのだ。

※本記事は、2020年5月刊行の書籍『古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。