第一章 嫁姑奮戦記

姑にてこずり、右往左往して神経をすり減らし、毎日を送っている私は、パートながら要介護者を訪問しているプロのヘルパーなのだ。

平成二年から亡くなるまで二年間舅の介護を経験した。その経験から早速ヘルパーの資格を取った。ホームヘルプ協会に所属して、家庭に派遣される訪問ヘルパーとして活動した。私がヘルパーになった平成五年頃は認知度も低く、しばらくは依頼がなかったように記憶している。

依頼が来るようになって姑のことがあるまで、五年ほど様々の人、家族と関わって来た。舅の介護をしたことから、介護家族の大変さは一応分かっているつもりであったが、人それぞれ顔が異なるように家庭も様々。

本人の状態、家庭の状況、依頼の内容、時間、時間帯など。まずは職員と一緒に訪問し、話し合ってお互い納得したら契約ということになる。途中で入院があったり、家族の都合で施設入所があったりで度々変更もあった。関わった家族は十三ほどだったか。

当時は区役所のボランティア活動にも参加していたし、姑も一人でいたので週四日二~三時間の活動で精いっぱいだった。

訪問する家の事情も同居、独居、同居だが日中は一人、夫婦二人と様々である。

同居の場合は本人のケアも大事だが、お嫁さんのケア、つまり愚痴聞きが大切になってくる。特に母と孝行息子の場合、悩みは多い。信用されないお嫁さんは気の毒だ。これまでの歴史がどうあろうと世話をする時間はお嫁さんのほうが多いからである。

腎臓病の末期のせいで幻聴と幻覚のひどい方は、お嫁さんが作った料理は毒が入っていると言って食べず、息子さんが作ったと持って行くと食べるそうだ。本当は私が作っているのに、と涙を流された。

お嫁さんがきつく、黙って言う通りにしようと努力するお婆さんもおられた。

一人暮らしの方は孤独と不安を抱え、子供と別居の方は不安と不満で病状を悪化させている。この方々は一緒に居て話したり食事の用意をしたり掃除しながら話している間に、目に見えて元気になられる。

ボランティア活動でのことだが、脊椎の病気がありほとんど動けない方が、私が冷蔵庫のありあわせの材料で作った味噌汁を食べ、「こんなおいしいもの初めて食べた」と喜ばれ、次回に行った時は起きて来てお喋り出来るほど元気になられ、三度目に訪問した時は玄関まで迎えに出て来られびっくりした。

こんな極端な例は少ないけれど、子供は離れて住み、夫と二人暮らし、おそらく夫に甘えることも出来ず、気兼ねしながら不安や痛みに押し潰されて暮らしておられたのではと思う。

私たちはその方々にちょっと手をさしのべ、過分な感謝をいただく。

ところが今回のことで、私は周囲から助けられることになった。

家族はもとより姉妹、近所の方々、友人たちが私にとっては良きボランティアであった。特に近所の方々には私の愚痴を聞いていただいたり、姑の話し相手になっていただいたりで、どれほどありがたかったことか。

自分の活動がどれほどの力になるのだろうと思ったこともある。しかし、今回のことでヘルパー活動の力を再認識することになった。

厳しい介護も病院では看護婦さん方に助けられねぎらわれたから、やってこれた。

それと、米良美一の「ロマンス」のCDと、トランプはずっと私を助けてくれた。

姑の横で日記を書き、トランプの一人遊びをやり、米良美一の歌を徹夜の友とした。

介護する側、される側、双方には今日に至る歴史がある。長い介護となると実の親子の間でさえ、ぎくしゃくしてくる例も見聞きしている。ましてや嫁姑間には、普段から程度の差こそあれ溝がある。ここで中に立つ夫の役割が非常に大切になってくることに、世の夫族は気がついてないか、逃げている。

※本記事は、2018年1月刊行の書籍『嫁姑奮戦記』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。