Ⅱ.これこそが慢性病の根本原因だ!

3 両発作死の直接原因物質の正体​

父の基礎医学研究への志

私の父は1937年春、大阪帝国大学医学部を卒業後、我が国の医療機関として当時も最高水準にあった東京の御茶ノ水駅前の杏雲堂病院にインターン生として就職しました。

この就職を仲介してくださったのは古武弥四郎大阪帝国大学医学部教授でありました。なお、古武教授は在学中から父のことを非常に可愛がってくださったと父から聞いています。そして 同教授は父に、「助手として大学に残れ」と熱心に誘ってくださったそうです。

ところが父は、自らの父親を早くに亡くしていましたので、卒業後は故郷埼玉に近い東京の杏雲堂病院に就職して、母親を早く安心させたいと強く思っていたのでした。

そこで、父の意志が固いことを知った古武教授は、当時の杏雲堂病院院長であった佐々廉平博士と昵懇(じつこん)の間柄であったことから、同病院への父の就職を助力すべく、佐々博士宛に推薦状を書いてくださったのだそうです。

このような経緯があって父は杏雲堂病院へとスムースに就職でき、佐々廉平博士の直接指導下に循環器系をはじめとする臨床技術を学ぶこととなったのです。

しかし、当時の医学界はほとんどの病気の原因が未解明状態にあり、もっぱら病気の各種症状を和らげることを主たる目的とした正に対症療法の時代であったため、力の限り手を尽くして治療に当たっても芳しい治癒成果が得られないことが往々にしてあり、医学の無力さを身に染みて父は知ったのです。

そこで、医学界がもっと基礎医学研究に力を注がなければ、このままではいつまでたっても抜本的に問題解決を図ることはできないという心境に達したのでした。

このような経緯があった後に父は、研究分野に身を投ずる決意をして、杏雲堂病院内の基礎医学研究機関である佐々木研究所に入所することになったのでした。

なお、この決心のきっかけとして、次のような出来事があったと私は聞いています。

当時父は、ネフローゼ(腎臓病のうち、腎臓実質内の尿細管〔血液を濾過して尿の製造を行う組織〕が退行変性〔細胞が緩慢死する変化〕を呈する病気)の末期と見られる、20歳のある若い男性患者を担当したのだそうです。

その患者は、尿毒症を発症するとともに、急性尿毒症様の引きつけ発作を反復・間欠的に起こしましたが、当時の医療のレベルでは、なす術がほとんどなかったのでした。

「また(発作が)来る!」と患者が怯(おび)えて叫ぶと、間もなく引きつけと痙攣が激しく起こって失神するという発作が繰り返され、ついに、「先生! 研究してください!」という遺言を残して亡くなったのだそうです。

父はそのとき、医学徒の一人として、このような病気の根本原因解明の研究に身を投じる必要があると判断して、「きっとやる!」とこの患者に約束したのだと言います。

また、この件とさほど変わらぬ時期に、旧制静岡高等学校時代の友人をこの患者と近似の病気で亡くしたことも、もう一つのきっかけであったと私は父から聞いています。

培養液中で物質(食品)を大腸菌の作用で腐敗分解して、その際に産生される物質を調べる実験研究は、佐々木隆興博士が20世紀初頭に世界で初めて開拓された領域です。

私は父から、佐々木研究所では様々な実験研究を行ったと聞いていますが、この食品の腐敗産物を調べる実験研究もその中の一つでした。

なお、この実験研究において、特筆すべき新たな何かを父が発見することはありませんでしたが、その代わりに、酸性腐敗便発見のきっかけとなる以下のヒントを得ています。

  1. 極めて強力な様々な有害物質が、食品の腐敗産物中に非常に多量産生されるのを初めて知ったこと。
  2. この極めて毒性の強い腐敗産物が、なんらかの病気の主要な原因となっているのではという着想を得て強い興味を抱いたこと。

なお父は、佐々木研究所を退所した後も、病気の根本原因をなんとか究明したいという思いを常に心の片隅に抱き続けながら、循環器系の専門医として開業しつつ、様々な病気の患者の診療を中心にさらなる研究を独自に続けたのです。

このような経歴とそこで得た経験のおかげで、父は、非常に激烈な悪臭を有する強い酸性条件下の腐敗産物の産出・吸収と循環器系諸発作発症とが極めて密接な関係にあることを、さほどの困難もなくスムースに看破し得たのです。

さらに父は、酸性腐敗産物が持つその作用の数々や、酸性腐敗便と諸病との因果関係を詳細に究明しました。そして、酸性腐敗便が、いわゆる慢性病の諸病(特に両発作)の主要な根本原因であると強く確信するに至ったのです。

※本記事は、2020年3月刊行の書籍『殺人うんこ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。