第4章 合目的的なる世界

第3項 合目的的世界×将棋

2 真理探求の担い手​

かつて、棋士の知能を評価しうる程の頭脳を持った人間はいなかった。人工知能は棋士の知能を網羅・把握し、評価しうる存在になるのだろうか。将棋の普及の大切さ・有り難さは、その恩恵を受けたアマチュアの私も軽んじて論じてはならない。

しかし私は棋士には、将棋を広く分かりやすく教える以上の存在、つまりは、既存の評価の枠組みの外にあって先端と深層を探る存在であって欲しいと思っている。

「将棋はそんなに簡単なものではない。」

佐藤康光九段・将棋連盟会長は人工知能の発展に関するインタビューのコメントで何度もこう繰り返した。その言葉に私も強く共感する。

しかし、将棋が計算の集積に過ぎず、その強さは指数化できるほどに“簡単なものである”との見方が一般に浸透してしまえば、指数の眩(まぶ)しさに人々は、真理の探求者としての棋士の像をいつしか見失ってしまうだろう。

この問題は、将棋に限られた事ではない。世界の合目的的開拓。個々の対象について、目的を明確化し、パフォーマンスやノウハウを指数化し、人工知能がその解を数値として現すに至ったとき、人々がその目的の唯一性とその解の正しさを真に受ければ、その領域に於いて、何が正しいのかを決める地位は人工知能に明け渡し、我々人間はその正しさに従いそれを追随的に遂行する存在に過ぎなくなる。

そこでは、目的はより良く果たすことだけに意味がある。要するに、思えば人間もまた機械的に機能化されてきたという経緯がある。機械の様に自らをツール化して働いている内にツールと見分けがつかなくなり、遂には機械にとって替わられようとしている。

ある人はそれを隷属的労働からの解放と言うし、ある人は雇用の喪失と言う。システムと資本。今やシステム設計すら人工知能に委ね、現場に辛うじて置かれる人間はマニュアルのままに動く。

融通の利くことはマイナスであり、融通を利かせることはむしろ厳に戒められる。粒子の様に解体された個は見分けがつかない。

見分けがつかない者は代替がきく。代替がきくという事はそれに従事する事を望む者がいる限り、最低の賃金にならされる。

合理的に買い叩かれる。仮に少しでも安い賃金で募集をかけ手を挙げるものがいればその者で良いのだから。国家と資本が分離し(いわゆる“国家と資本の離婚”)、実体経済を支えるツール(手段)であった金融経済が主役化し、新たに目的にとって替わり、その目的を最善に果たすプロセスを人工知能が担う。

そこに、人間の尊厳はあるのだろうか。将棋に於ける棋士の立場の変容は、今後の人間の置かれる立場の厳しい試金石になっている。

※本記事は、2018年12月刊行の書籍『人間を見つめる希望のAI論』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。