私(西野鉄郎)は高校生に英語を教えています。N(西野作蔵)君は私の塾のOBです。上智大学の2年生で、ロシア語を専攻しています。帰省中の冬休みのある日、私たちは茶房古九谷(九谷焼美術館内)で会いました。話は弾み、3日連続で、「織田信長と古九谷」について話し合いました。

1日目 新信長論 利家と信長

『国盗り物語』(司馬遼太郎)、『織田信長』(山岡荘八)によって植え付けられたイメー ジはなかなか払拭できませんが、本章(1日目)はこうした織田信長像からかなりかけ離れています。小説ではなく、一種の論考のような内容を持っている本作品の導入部としては、読者の興味を引きつける内容です。

利家は信長を神と崇めていた

N:先生、お久しぶりです。お元気そうで何よりです。冬休みで帰ってきました。 石川はこんなに寒いのですね。

:そんなに寒いかな。ホットでいい?

:はい。ところで先生、今、何してるんですか?

:「古九谷」の原稿を書いている。

N:へえ。どんなことを書いているんですか?

:加賀は信長の理想郷で、「古九谷」はその残影である。

:「古九谷」と信長がどう関係するんですか?

:じゃあ、きょうはその話をしてあげようかな。ところで作蔵君、前田利家と信長の男色関係を知っているかな?

N:いいえ。黒歴史ですか?

:当時は食うか食われるかの戦国時代。誰が敵で、誰が味方か? それさえわからない時代だ。一度契れば、生死をともにする関係が男色関係で、信長と利家は男色関係で強く結ばれていた。

N:男色関係では、どういうタイプが好まれるのですか?

:イケメンで、高身長で、武勇に優れ、体格もよく、なによりも頭がよくなければならない。

N:利家は信長の目に適ったのですね。

:そうだね。そして利家は信長を神だと恐れてもいたんだよ。

N:神ですか?

:臨終のときにこんな話がある。利家は嫡男の利長に言う。「わしは信長様に触れたんだ。わしは神に守られた。利長はわしの子。だから利長も神に守られる」。

N:ものすごい話ですね。

:驚くだろ。利家は「前田こそが織田の後継」の信念で、信長死後を生き抜いたんだ。

N:その話が加賀は信長の理想郷で、その加賀の地で「古九谷」が誕生したとなるわけですね。

:そうだね。「古九谷」には信長の残影があるんだ。

金沢には安土城が建っていた

N:先生、利家と信長の関係をもっと知りたくなりました。

:そう? ご要望に応えよう。まず一つ目。利家の嫡男は利「長」。利長の長は信長の長だ。二つ目。その利長の嫁は信長の娘(永姫・玉泉院)。金沢城の玉泉院丸庭園は邸宅跡地だ。三つ目。玉泉院の墓所(野田山前田家墓地)は利家夫婦より奥の高所にある。

N:男色関係みたいなおもしろい話はないのですか?

:じゃあ、信長の夢・いわゆる安土城は金沢城の話をしよう。その金沢城の天主閣はいわゆる安土城の天主閣なんだ。

N:まさか!

:安土には安土城・信長の館がある。セビリア万博(スペイン)の日本館のために安土城天主を原物大で復元したものなんだ。まさしくそれが金沢城のものなんだよ。

N:その根拠を教えてください。

:「天主指図(設計図)」が加賀藩にある。われわれが知る安土城の天主閣(信長の館)はその指図で復元されたんだ。しかし安土城の発掘が進むにつれて、その天主指図とは相容れない部分がでてきた。それは金沢城の天主指図だから、当然のことだろ。

あやめ(硲伊之助美術館蔵)
※本記事は、2020年5月刊行の書籍『古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。