第一章 嫁姑奮戦記

姑はとうとう煙草を吸い出した。商売以外何も興味も趣味もないし、唯一好きな買物も出来ない昨今、さぞかし空しく退屈な毎日だろうと思う。

そのうえ、コーヒーやお茶も嗜まない。煙草代わりにとお菓子を出しても物足らない様子だった。隠れて吸われては危ないので、灰皿の前で吸ってねと言うと、「うち、もうどこぞ行って死ぬわ」と言う。「吸ってもいいって言ってるのに何で?」と言うと、「うちもうこんなして生きてるの嫌になった。どこぞ行って死ぬ」と再び言う。

「そんなこと言わんといてよ。今までなんのため頑張ってきたの。そんな死にたいような辛い目に遭わせた?」

姑にとって自分の思うようにならない生活は、死ぬほど辛いのだろう。気持ちは分かるが、今の状態ではとても無理だ。

物忘れ理解力の低下は更にひどくなってきている。テレビも見てはいるが、ほとんど理解していない。

毎日財布か何かを捜し物をしている。日課のようなものだ。おかげでタンスも押し入れもひっくり返っている。

私は汚れ物を捜すだけだ。以前のようにうるさく言わない。無理なのだ。一緒にテレビを見ながらお喋りをしたり、おやつを食べ、食事をする。

そんな中、こんなエピソードもある。

「公ちゃん、うち、一つだけ心配があるねん」
「それって何?」と、私。
「あのな、息子にまだ嫁さんおらへんねん。うち、心配で死なれへん」
「ほんなら、私、誰やの」
「あんたは、うちの世話してくれる人やろ」
「何言うてるの。私が嫁さんやんか。孫も二人居るで」と、紙にフェルトペンで簡単な系図を描いて説明する。
「なんや、公ちゃんが嫁さんやったんか。ああ、良かった。これで安心したわ」

もっと優しい嫁でいよう。滅多にと言うよりほとんど怒ったりしない穏やかなお婆さんである。私も見習わなければならない。

考えてみたら私は姑にあれこれと小言を言われたことがない。がたがた言うのはいつも私のほうだ。

姑の偉いところは他人に干渉をしないことだ。孫のことでも直接本人に言わず私に言う。ワンクッシヨンを置くやり方だ。

私ときたら何でも本人にずけずけ言うので、傷付けもするし反発も食らう。姑のように口にチャックし、摩擦を避けるようにすれば周囲も平和なのに。

考えて見れば私も勝手な人間だ。自分が姑のように賢く生きることが出来ないのに、自分のやり方を強要している。

姑のやり場のない気持ちが「もう生きているのが嫌になった」と言う言葉になって出て来たのだろう。危険なことだけ気をつけて、もっと優しく接していきたいと思う。

※本記事は、2018年1月刊行の書籍『嫁姑奮戦記』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。