はじめに

本作品は論考ではありますが、「歴史ミステリー」の趣きがあります。そして読み進めると信長の人間的な魅力に触れることができ、心が揺さぶられることでしょう。

信長は99%の欠点を1%の長所がすべて補っている

99%の欠点を補う1%の長所を持っているのが織田信長です。迷惑な暴君でもあったでしょう。とはいえ、その1%の長所がいったい信長の何なのか。

おそらくスティーブ・ジョブズもそうであったでしょう。その1%で、木下藤吉郎が、柴田勝家が、そして前田利家が信長に心酔したのです。そして徳川家康が死ぬまで同盟を守り切ったのです。その1%とはいったい何なのでしょうか?

前田利家は信長に心酔していた

信長崇拝と言えば、前田三代、とくに利家の信長崇拝も驚くばかりです。利家の遺言状には信長の名前はありますが、秀吉の名前はありません。しかもその遺言状には信長の名前が数度も出てくるのです。

じつは利家は信長と男色関係にありました。一度契れば、生死をともにする関係が男色関係で、信長と利家は男色関係で固く結ばれていました。利家はイケメンで、高身長で、武勇に優れ、体格もよく、なによりも頭がよかったのでしょう。

[写真] 夜の月見草(硲伊之助美術館蔵)

ところで、日本で最初にクリスマスを祝ったのが金沢でした。加賀藩のすべてのお寺が南蛮寺となり、そこで商人や農民にキリスト教を教えていたことはあまり知られていません。

加賀には南蛮の風が吹いていたのです。こういう話を積み重ねて、「古九谷」に迫ってみました。

○○天皇も信長に心酔されていた

信長に心酔していたのは武将ばかりではありません。あの天皇もそうでいらっしゃいます。そうです、明治天皇です。

信長を祀る神社は子孫以外では明治天皇の下命により創建された建勲神社と前田家の泉野菅原神社だけです。明治天皇は、その建勲神社に、桶狭間で信長が今川義元から奪った義元左文字を奉納されます。そしてまた明治天皇は、信長以来はじめてとなる、古からの「天下人の証明」の「あること」をなさいました。

秀吉も家康もできませんでした。明治天皇は信長のいったいどこにそんなに惹かれられたのでしょうか?

※本記事は、2020年5月刊行の書籍『古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。