第二章 伝統的テコンドーの三つの要素

(二十)(二十四)トンイル(漢字表記:統一)(動作数56)

トンイルとは、分断されている南北朝鮮の統一を表しており、この型の演武線は、朝鮮人の結束を象徴している。

第二次世界大戦において、大日本帝国を打ち破った連合国の勝利に起因して、三十五年にわたる日本の朝鮮植民地時代は終止符を打たれた。当初、アメリカとソ連は信託統治領として、朝鮮半島南部をアメリカ、北部をソ連が一時的に占領することに同意していた。

38度線はその二つの区域を分離する境界線と規定された。この信託統治は、朝鮮の臨時政府を設立することを目的としており、いずれ自由な独立国となる予定であった。

しかし、アメリカとソ連がそれぞれ違う指導者を支援したため、一九四八 年には二つの国家が事実上建国され、それぞれが朝鮮半島全体の統治権を主張するようになった。

そして、北の朝鮮民主主義人民共和国と南の大韓民国という二つの国家に不和が生じ、境界線に沿って引き起こされた襲撃や小規模な戦闘は最終的に朝鮮戦争(一九五〇 ―一九五三年)へと発展した。

結果的に38度線上には軍事境界線が引かれ、二国は分断されてしまった。今日まで、南北朝鮮は分裂したまま、両国家間の緊迫状態も続いている。トンイルは、そうした両国の再統一への希望を表している。

・その他四つの型(現在の型番号二十︱二十三)について

ウィアム(漢字表記:義菴)(動作数45)

ウィアムとは、一九一九年三月一日に起こった韓国独立運動(三・一独立運動)の指導者、 孫秉煕(ソ・ビョンヒ)の雅号である。孫は一九〇五年、東学を天道教に改名した人物である。そしてこの型の動作数45は、その時の年齢を表している。また演武線は、民族繁栄に一身を捧げた彼の不屈の精神を象徴している。

東学は、一八六〇年に崔済愚(チェ・ジェウ)によって始められた宋明理学における学術的運動であった。東学党の乱とも呼ばれているこの運動は、西学、西洋思想、キリスト 教の韓国導入に対する抵抗によって始まった。また、「天道」及び韓国の伝統的暮らしと思想への回帰を求めたものでもあった。

一八九二年、東学党の乱に参戦した団体らは、東学農民軍を結成した。彼らは昼間、農作業に従事し、日が暮れると武装して官庁を奇襲した。裕福な地主や商人、外国人らを殺害し、彼らの土地を再配分するために押収した。この反乱は主に外国の侵略と占領への抵抗のため行われたが、一八九五年に日本軍によって鎮圧された。

一八九八年、東学の二代目教主、崔時亭(チェ・シヒョン)が処刑されると、東学党の乱の指揮官であった孫秉煕は、日本へ亡命し政府の保護を求めた。崔時亭は生前、 孫秉煕を東学の三代目教主に任命していた。

日露戦争後の一九〇四年、孫秉煕は韓国へ帰国して進歩党を設立し、自国の社会改革と減り続ける国の財政を立て直すことを目標に掲げた。また一九〇五年、宗教活動の解放と透明性を示し、日本政府の目に正当な団体と映るよう、東学から天道教へと改名した。翌年には、現代の宗教団体として天道教を宣布し、ソウルに本部を置いた。

孫秉煕によって天道教に改名されてからの大きな変化は、自国の天道教、仏教、キリスト教団体との前例のない協力体制を築き、日本の韓国占領に対する秘密の情報網を構築した事である。韓国の独立宣言がソウルのパゴダ公園で行われた時、彼のこうした努力は三・一独立運動へと大きく貢献した。

この運動によって、日本の占領に対する平和的デモが全国へ広がっていったが、これらのデモは日本軍によって容赦なく鎮圧され、多くの死傷者と逮捕者を生み出す結果となった。ウィアムの型は、自国に一身を捧げ、独立運動に貢献した孫秉煕への名誉を讃えるために作られている。

※本記事は、2020年5月刊行の書籍『人の道 伝統的テコンドーの解釈』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。