1月2日(土)

神聖な話題になったオナラとうんこ

朝、台所へ下りてみると、良子がにっこりした。「カタチのいいのが出た」と言った。「バナナ1本分。昨日はこれぐらいやった」と親指を立てた。

「出たか!」

私は、プッとやった。夜明けの祝砲だ。

良子は口を尖らせたが目は笑っていた。良子はうんこの話などする女ではなかった。

最も大切なものが何であるか、私たちには分かった。うんこが出、オナラが出る。我が家にとって現在、それが最大の心の安らぎである。

1月3日(日)

コオ来る

暖冬である。本当に寒いと思った日が一日もない。昼間ホームセンターへ行ったが、途中、車の窓を少し開けて走った。

夕刻、コオが来た。料理人で夜の仕事である。

朝の早い私とは活動時間がずれている。休日も私やあい子と異なる。電話では常時話しているが実際に顔を合わせるのは2月に一度くらいである。

生みの母親の血を引いて“男前”であると私も思う。色白で細身、背も高く、目が優しい。私が一番心配していたのは「女」の問題であった。女を漁ろうと思えば、それのできる雰囲気を持っていた。

女に泣きつかれて往生する父親の私を想像していた。ところが事態はまったく逆に進み、30を過ぎても女の気配がなかった。料理人になって家を出たが、結婚する様子が見えない。

女の問題を心配したのに、実際は女の問題がないことを心配した。心配以上に不安だった。「お前、勃つのか」と聞いたら、「心配するな。びんびんだ」と答えた。

結婚して子供が二人生まれても十分なマンションを買い与えた。そこへ転がり込んで来たのがペルーの女だった。同棲を始めておそらく2月ほど経ってから、コオは彼女を連れてきた。私たちは驚いたが、私自身はコオの側に初めて女を見て、安堵の気持ちもあった。

年を聞くと21歳であった。スペイン系の可愛い娘で、私は好印象を持った。

4月にリマで結婚式を挙げた。びっくりするほどの人が集まり夜明け近くまで大騒ぎした。最初の頃、息子夫婦はよく来ていたが、そのうち間があくようになり、いつか寄りつかなくなった。

何となくおかしくなっている雰囲気は感じていた。そのうちにコオがマンションを出てしまった。一緒になって3年後くらいだったと思う。

自分の家から女を追い出すというのは分かるが、自分が出て行くというのがコオらしい。「追い出したら、あいつの行くところがない」と言う。私も、「邪険なことはするな。しかし期限は切れよ」と言った。

しかし離婚の成立には更に2年ほどかかった。離婚を引き延ばすほど彼女は住まいを確保できるからだった。自分の家なのだから乗り込めば良いのであるが、コオにはそのような闘争心がなかった。

彼女の方が慰謝料を求めて裁判を起こした。仕方なく私たちも対応した。結果は私たちの主張通り(つまり最初からコオが彼女に話していた額で)決着した。可哀想に弁護士費用だけ彼女の損失になった。明らかに質の良くない弁護士だった。

私は(おそらくコオも)彼女を悪くは思わなかった。それなりに一生懸命に生きる娘であった。ただ目的は国元への送金にあった。日本で子供を作り、家庭を築いていく気持ちは薄かった。彼女が出て行ったあとのマンションは、大損して売却した。

コオは真面目で優しい性格である。要領よく立ち回ることができない。人を押しのけてということができない。ひねくれたところがない。

これはあい子にも言えることで、私の日頃とはつながっていない。良子の影響としか考えられない。目端が利く、という能力が欠落している。

見ていて歯がゆいところはあるが、しかし私は、それを悪いこととは思わない。話は良子とコオがした。昔からそうだった。

私は年末に川崎の豆腐屋さんで買い込んであった生揚げを炙って、摺ったショウガを添えてやった。「こりゃ旨い!」と料理人が言った。

※本記事は、2019年3月刊行の書籍『良子という女』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。