第4章 合目的的なる世界

第2項 合目的の厳しい世界

1 機械の平等と整理的淘汰

合目的的な世界は完成に向かう。合目的的世界とは、諸事にあって、陣営に威信と勝利の確信をもたらすべく打ち立てられる軍旗の如く、明確な目的が設定され、それに沿って合理的に効率的に物事が解決されていく形で運営される世界だ。

それは我々にとって、言うまでもなく甘くない、どころか大変に、厳しい世界だ。棋界、棋界を構成する棋士もまた、合目的一元化に依よって厳しい危機に曝(さら)されていると私は考える。

明快な目的を立て価値観を一義化すると、主体は目的達成の成果に応じて明快に決定的に序列化される。合目的の象徴たるスポーツを考えれば良い。メジャーな各スポーツには各選手に公式のランキングとレーティングが付(ふ)されている。

業界に精通した人間を除いては、ランキング28位の選手よりは5位の選手が強いものだと皆が自然と見做(みな) す。将棋の強さを示す段位は“成果の積立式”であり、ニュアンスは柔らかい。

小売販売を例に見れば、販売サイトを立ち上げ、商品搬送の物流を整備し、注文方法、キャンセル時の清算等のルールをシステム化しインフラが整備されると、晴れて参加者(販売業者)に“最も安く商品を提供する”という目的が設定される。型番のある商品なら、各々の販売者がいくらでそれを販売しているのかが、型番検索によって即時に安い順から羅列される。

飲食店とドラッグ・ストアを除く小売販売店舗の大体が街から姿を消した(地方都市のアーケードを改めて眺めてみると面白いと思う)。消費者の意識が最安値検索により“一番安いものを買うこと”に明確にフォーカスされたからだ。一番安いものを買うだけなら、店舗にいてその商品を販売する顔の見える人の存在を消費者は必要としない。

飲食店は家で一人で食べても美味しくないので人の集える場所として存在意義があり、ドラッグ・ストアは薬のネット販売を規制する薬事法に守られている。消費者はそこそこ安いモノは選ばない。評価の構成要素が多元的でなく一義的になると、局面はスッキリとし、選択肢はハッキリとする。

ひと度敗勢に傾けば、中庸的位置に踏み留まっての粘りは効かない。合目的的な世界は曖昧な共存を許さない。システムは、旧いものを“古き良き”と容赦し温存する、漠然とした崇高なものへの畏敬の念や権威、若(も)しくはこれまでの社会への貢献度などに目を眩(くら)ます事なく、ゲームの参加者を、透明化された基準に照らし、当て嵌め、数値化し、立ちどころに、新参古参を問わず全ての参加者で構成される序列のなかに精確に配置する。

その際、その目的に含まれない価値基準を持ち出し、自らの位置や評価を少しでも高めることは許されない。自らの存在意義は目的達成の成果にのみ依拠する。“機械4の平等と整理的淘汰”。

通貨ですら、ネット上の通貨にあってはその目的を投機目的に一義化し、絶えず開示・更新される情報の中、投機家(敢えて投資家とは言うまい)の満足に満たないものは順次に淘汰されていく。通貨が利用者の主導権の下、短期の生き残り競争に曝される事など歴史上未だかつて無かったことだ。

権威が対象の存続を支える大元に機能しない。短期成果のスプリント・レースが通貨の領域にまで浸透している。“狼の 人に喰わるる 寒さかな”と、昔から言う。

一元的価値観の土俵の上での生存競争は際限なく歯止めが効かない。現れては消え、現れては消える。それを評価する数式だけが、永続する。

※本記事は、2018年12月刊行の書籍『人間を見つめる希望のAI論』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。