第一章

6

酔いも手伝って、河合はいつもより饒舌だった。不機嫌そうな良美がときおり口を挟むが、河合はお構いなしにまくし立てていた。

『君の芝居は俗っぽいんだよ。聖女の神秘性みたいなものが足りない。あれじゃあただの安っぽい娼婦だ』

『それであの娘だって言うわけ?』

良美が言った。

『なんだ? 妬いてるのか?』

河合が笑った。

『あの娘、お気に入りだもんね』

良美が突っかかる。

『だからあれは、君の刺激になればいいと思っただけだよ。主役は君なんだ。あの役は君のために書いたんだから。わかってるだろ?』

『だったら言ってよ』

『何を?』

『私とつきあってるってみんなに言ってよ』

『そんなこと言ったら他の劇団員に疑われるじゃないか。君だって劇団にいづらくなるだろ? ぼくは芝居に私情を持ち込みたくないんだ。いいかい? ぼくは純粋に君の女優としての資質を認めているんだよ』

『言ってくれたほうがすっきりするわよ』

『それは意図に反する。公平さに欠けると言われるのは心外だ』

『自由にできなくなるしね』

『はあ?』

『私のことを公表したら他の女にちょっかいかけられなくなるもんね』

河合は黙った。

『奥さんにも内緒。劇団でも内緒。いったい私は何なの?』

『ねえ。ぼくには高校生の娘がいるんだよ。言えるわけないじゃないか』

『私はあなたの何なの?』

『恋人』

『違う。ただの不倫相手』

『良美』

『ただの都合のいい女。安上がりの売春婦』

『いいかげんにしろ』

『で、もう飽きた。新しいオモチャが欲しい。それがあの娘。でしょ?』

『あれは演技のトレーニングだ』

『不倫をする男は、痛い目にあわないかぎり八割以上は不倫を繰り返すってデータがあるの知ってる?』

『どっかの週刊誌のガセネタだろ?』

『奥さんから電話があったの』

河合が口を閉じた。

沈黙が流れる。

しばらくの静寂のあと、グラスを置くような音がした。

『あなた、メールを見られたのよ。私とあなたとのやり取りをぜんぶ』

ボイスレコーダー越しにも空気が重くなったのがわかった。良美が続ける。

『それだけじゃない。あの娘とのメールも見られてる。あなた、あの娘にも愛してるって言ってるらしいじゃない。奥さんから同情されたわよ。あんな男やめときなさいって。バッカみたい。ねえ。不倫してる男の奥さんに同情される私って何?』

河合は答えない。

『何か言いなさいよ!』

良美の声は震えていた。

河合は何も言わない。

『あなたはクズよ。偽善者のペテン師よ』

『男はみんなそうだよ』

河合が吐き捨てるように言った。

どうやら開き直ったらしい。

『本能なんだから仕方がないだろ。いろんな女に種を蒔く。ぼくは本能に忠実なだけだ』

『最低』

良美が冷たく言い放った。

『ぼくは自由でありたいんだ。何が悪い?』

河合は悪びれもせずに言った。

『悪いわよ』

『どこが?』

『仮にそれが男の本能だとしたら、世の中の男はみんな浮気をするはずじゃない。でもしない人もいる。本能を抑えることができる人もいるし、あなたみたいにできない人もいる。それだけよ』

ほお。この女、少しはマトモなことを言うじゃねえか、と博昭は思った。

『あなたは欲望を抑えることができないただの動物よ』

『どうして根源的な雄の本能を抑えなければならないんだ? あのねー』

河合の声に怒りが交じった。

『人間は孤独を恐れる生き物なんだ。ぼくの孤独の深さは誰にも理解できない。君にもだ。まあ理解できないのは仕方がない。人間は理解などしあえないんだから。だからそれはいい。でも理解しようとしなければいけない。なぜならそれが優しさだからだ。それなのに、ぼくのまわりの人間は誰もぼくを理解しようとし ない。妻とはもう何年もセックスレスだし、娘は年々気難しくなる。それに、君だ。君はぼくを一方的に非難し、理解しようとしない』

『何それ? 笑わせないで。今度は情に訴えるわけ? しかも、私のせいだって言うの?』

『良美』

『あまったれるのもいいかげんにしてよ』

河合がため息をついたのがわかった。

『良美。ちょっと考えてみてくれ。世間は浮気とか不倫をする人間をまるで極悪人みたいに言うけどね。ホントにそんなに悪いことなのか? ぼくは極悪人なのか? 恋したらいけないのか? 結婚したら恋をしてもダメなのか? だいたい、ぼくは浮気とか不倫って言葉が気に入らないんだよ。倫理に反するって? じゃあ聞くけど倫理って何だ?』

『また屁理屈?』

良美が言った。

『私はそんなことを言ってるんじゃないの』

『意味について擦り合わせてるだけだよ。ねえ、倫理って何?』

良美は答えない。

『あれは規則だよ。ルール。どっかの誰かが決めたことじゃないか。違う? ぼくの言ってることおかしいか?』

『何が言いたいの?』

『あのさ、ルールって変わるじゃない? 時代によっても国によっても違うじゃない? 一夫多妻の国だってあるじゃない。たまたまこの国に生まれただけで、妻以外の人を愛してはいけないなんて理不尽じゃない か?』

詭弁だ。

と博昭は思った。

この男は自分に都合のいい情報だけを語っている。

確かに一夫多妻の国はある。しかし、一夫多妻の国もあれば、不倫をすると斬首される国もある。この男はそういった事実は伏せている。あるいは知らない。自身に都合のいい情報しかインプットしない人間はたくさんいる。

生まれつきのペテン師。それがこいつだ。

『そんなことはどうでもいいの!』ついに良美が声を荒らげた。

『苦しいの! 私は苦しいの! 私は私だけを見てほしいのよ!』

やれやれ。

やはりこの女もバカだ。自分のことしか考えていない。

博昭はボイスレコーダーに呟いた。

「勝手にしやがれ」

※本記事は、2017年12月刊行の書籍『永遠と刹那の交差点に、君はいた。』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。