2週間前。

私はゲストハウスの共有スペースにノートパソコンを広げて調べごとをしていた。

何気なく広げた写真のなかには1年前、哲也が旅立つ前に空港で撮った写真があった。カフェで女子大生に撮影してもらったものだ。見ると3人の男たちはふてくされたような笑みを浮かべていた。

私は椅子に座ったまま、腰に手を当てて背伸びをすると、顔の周りを飛んでいる蚊を払った。こいつらは夜になるとどこからともなく現れる。

「こんにちは。ここ座っていいですか?」

急に若い男が軽く会釈しながら話しかけてきた。

「あの……なんかギター探している方ですよね?」

屈託ない笑顔が印象的な彼の名前は田辺康俊。周りからはヤスと呼ばれているそうだ。私と同じゲストハウスに宿泊している彼は、聞いてもいないのに丁寧に自己紹介をしてくれた。

ヤスは東京都内の大学に通う20歳の青年だ。

野球が好きで、いつもグローブを2組持ち歩く彼は、各国で現地の人とキャッチボールをすることを目的にして世界一周をしているらしく、その様子を動画にして配信しているそうだ。

「みんなお兄さんの噂していますよ。ギターを探している日本人がいるって」

ヤスはニコニコしながら言って見せた。

「えっ? ほんとに?」

ふと周りを見ると、日本人と思わしき宿泊客が数人こっちを探るように見ていた。

「噂ってどんな?」

「トミーが言っていたんですよ。『彼はギターを探している』って」

「え? トミー?」

「はい、トミーですよ。ほら、いつもレセプションにいるタイ人ですよ」

ヤスがレセプションを指さして言った。

「へー、彼トミーっていうんだ。そういえば名前聞いてなかったな」

「トミーは日本のアニメが好きで、変な日本語話すんですよ」

「あ、なるほどね、だから日本語がうまいんだ。自分がこの間、楽器屋さんを探しているっていう話を彼にしたら、丁寧に日本語でお店を教えてくれたよ」

「へ~、なんか欲しいギターがあるんですか?」

「うん、まあ、ちょっと探しているギターがあるんだ」

「それって、特別なギターなんですか?」

興味を持ったのか、ヤスは椅子を直しながら姿勢をこちらに向けた。

「うーん、まぁ特別といえば特別なんだけど……ちょっとね」

そういって私は少し渋い顔をしてみせた。

「何すかそれ、ちょっと聞かせてもらえませんか?」

私は自分のあまりに無謀で馬鹿げた話をするのを躊躇したが、若者の好奇心は止められなかった。仕方なく私は、

「じゃあ、少し長くなるけど」

と前置きしてから順を追って丁寧にギターと旅に関する話をした。

ヤスは私の話を食い入るように聞いてくれた。

時間にして10分ほどだったろうか。

私の話を聞き終える頃、20歳の若者の目つきは変わっていた。

「マジすか!? じゃあ兄さん、あるかないかもわからないギターを探すために、日本を出てきたんですか? 信じられない……クレイジーすぎますね!」

ヤスは細い目を大きく広げながら言った。

「やっぱりそう思うよね」

私は話をしたことを後悔して、少し落ち込んだ。

「で、手掛かりとかはあったんですか?」

目を輝かせるヤスの期待を裏切るように、私は首を振った。

「そうですか……話を聞いているかぎりだと、そのギターの情報を集めるのは相当きついですよね」

するとヤスは、何かを思い出したように立ち上がった。

「兄さん、ちょっとまだここにいますよね? ちょっと待てますか?」

「ああ、まだしばらくここにいるけど」

私は足元の蚊を気にしながら言った。

「ここに長く滞在している人がいるので、今の話、きっと力になってくれると思うんです。ちょっと待っていてくださいね」

ヤスはそう言うと席を離れ、2階に勢い良く上がっていった。

私は一瞬それを止めようとした。話が広がって自分の無謀さが露呈されてしまうのが恥ずかしくなったからだったが、ヤスの行動を止めることはできなかった。

しばらくすると、ヤスが一人の日本人男性を連れて戻ってきた。

その男性はスキンヘッド、細身で長身、歳は30代くらいに見えた。首から腕にかけて大きなタトゥーがタンクトップからのぞいている。あまり日本では見かけない風貌に私は少し構えた。

「はじめましてカジといいます。話はヤス君から聞きました。ご友人のギターを探しているそうですね?」

その風貌からは想像できない優しい口調に、私は思わず「はい」と、緊張した声で返答した。

「もう少しそこで待っていてもらっていいですかね? もう一人連れてくるんで」

そう言うと、カジはそのままレセプションに向かった。

「カジさんはタイに7年住んでいるんで、タイ語がペラペラなんです。今はここに住みながらバンコク市内で日本語の講師をやっているんですけど、すごく顔が利くんですよ」

ヤスがそう教えてくれている間に、カジが奥からトミーを連れて来た。

「もう一度、ヤス君にした話を聞かせてもらえませんか? ひょっとしたら力になれるかもしれないので」

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『旅するギターと私の心臓』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。