辻和之氏。に 工藤勇氏。に

辻サン。この歌集はまことに誠に、あなたに拠り成りました。

昔、わが貧窮のきはみの時の数年を、金銭的の援助を賜つた。今年、過去の歌稿を忘れ去り、そつくり二十年間分を捨てし儘に放置し、新しい短歌も作らずにゐた私に手を、差し伸べて、

「ヤシマサン、『淀川。よ』は、どうなつております?」

と、わが夢にだに思はずにゐた「歌集」纏め作業に、再びを短歌に、向かはせしめられた。

平成三十年三月三十一日のことです。蒼痩ロシナンテの尻つぺたにぴしりと鞭を食らはされたのです。いま、すでに夏秋が逝き真冬の近きを感ずるまでになつてをります。

その間の遅々を督促されることまでをされた。例へば、二十年間をほつたらかしにせしままの歌稿落穂ひろひの苦役に慄ヲノノき、煩雑の纏め作業をサボりまくりの挙句、この六月三十日、

梅酢上がりらつきやう泡立ち、糠味噌の膨れあがれり。夏来たるらし

などといふ雑歌をあなたにメールせしところ、七月一日には、

矢嶋博士様。

まさしく力ですね! そして力あるものとは、生あるものであるゆゑに、とても生き生きと感じられます!

辻 和之

と、驚嘆マークが二つも付く賛辞をいただいた。寛容にも。

実を言へば、昔のわが歌に向かふのは、非常な恐怖があつたのです。貧乏といふ隙間無き虐待を妻子に強いてゐた景色を振り返り見るのが辛かつた。生ま傷に塩を擦り込む所業をせよとや。

まことに誠にあなたといふ医師の処方箋なくばこの歌集のあらはれることはありませんでした。をりにふれて、あなたに、お送りしました「淀川。よ」間歇的断片に、示唆に充ち賛辞にみちた返信督励をいただいてゐた。『淀川。よ』へのスターターとエンジンとガソリンとナビを供与されてゐたのでした。

まことに誠に、あなたは私のかけがへ無い主治医であります。思へば、あなたと私は大阪市旭区と東淀川区に棲み淀川を隔てて直線距離にしてわずか三キロメートルの至近にゐた! 五十年を。それが十年前に出会つた。

その時、初めて京極爲兼といふ、巨人の存在をも教へられた。なんといふ奇縁。でせう! 淀川。よ!

工藤サン。あなたのお力で『淀川。よ』は成就するに至りました。

ゆゑに、ここにわが身とこころから感謝を籠めて 献辞を置きます。

よどのおもの しづかにをれば、雲の来て やさしいおもをゑがきけるかも

よどの辺に逢はずにをれば、うつせみの 沖辺に過ぎぬ。またもあはめやも

やうやくに 淡路マクドに 百円の コーヒーを恃み纏め畢(をは)んぬ

淡路マクドに夜通し籠めて『淀川。よ 』煮詰めてをれば、明星のぼりをりぬ

淡路なる 夜半を帰りぬ。暗闇は こほろぎ国の径に化(な)りをりにける

中津の沖しづかの海に 午前六時 冬の鳥らのふり、そそぎ来るころ

令和元年 2019年 十月二十二日 新天皇即位礼正殿の儀の日 矢嶋 博士

※本記事は、2019年10月刊行の書籍『淀川。よ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。