第1章  令和の今、行政改革最高のチャンス

日本を襲う異常気象

訪問するたびに北海道が変わっている。サンマが採れなくなったりイワシが採れ出し たり。フグが水揚げされるようになってフグ料理の免許試験も始めたと聞く。温暖化や海流の変化が著しいのであろう。

また熊が住宅地に出没。これは食糧の木の実が少なくなったのか、人が住む家が彼や彼女等の棲家に近付き過ぎたのか? 原因は判らない。

私は20年位前から「北海道に梅雨はある」と言っている。なかなか同調する学者はいなかったが近年は同調者が少しずつ増えてきた。私は北海道に住んだことはないが、当院の若い看護師達の経験からも確信している。

新採用の若い看護師は5月のゴールデンウィークの休暇は昔から居る先輩達に代わって留守番。家族旅行などのベテランが優先。 赤穂ではちょうど梅雨の頃に初のボーナスを貰い、新人同士の仲間も増えて海外より手短な北海道へ行く。

戻ったら律儀に院長室へ義理土産を持参。「どうだった?」と尋ねると皆揃って「ずっと雨でした」と。私は「赤穂はカンカン照りだったよ」とニヤリとするのが定例であった。

津軽海峡に大きな衝立でも置かない限り東北の梅雨が北上している筈である。ちょうどその頃に赤穂は梅雨明けなのである。

因みに北海道の親友は 「蝦夷(えぞ)梅雨」というのが昔からあるとそっと教えてくれた。

私は30年位前から雨粒が大きくなったと思っている。小学校のポプラの木や近くのお寺の鐘が子供の頃より随分と小さく見えるのに雨粒が大きく見えるのは、やはり本当に大粒になっているのではと思っていたのである。

京都の下宿のおばさんは「最近の雨は品がおへんな」と。「春雨じゃ濡れて行こう」の月形半平太や旗本退屈男の早乙女主水 之介のように見えも切れない。ビル街の向かい側に走るだけでびしょ濡れである。台湾 やフィリピンのスコールに似てきた。

100年に一度の大雨が同じ地域に3年続けば 300年も経ったことになる? これではこれが正常で好天が何年かに1回の異常になる 日も近いのではと危惧する。

私が子供の頃、近所の老いたお百姓さんは「梅雨の天水と梅雨明け10日のお天道様のお陰で美味い米が出来る」と空を眺めながら教えてくれた。北海道のゆめピリカが米の品評会で最高賞を採れたのもそのお陰である。そのうち樺太米やシベリア米が誕生するのであろう。

北海道の観光関係の人たちは客足を減らさないためにも「梅雨はない」と言い張るだろう。しかしそろそろ年貢は収めてほしい。米と引き換えに。台風も強い勢力のまま北海道を襲う。数年前には3つ連続であった。高校野球も内地と互角以上なのだから梅雨も同じように、と考えるのは変?

奥尻島の青苗診療所を訪れた際、大津波の犠牲者を悼む上皇様の歌碑の前で頭(こうべ)を垂れた。平成初期の大災害であった雲仙普賢岳の噴火、火砕流と並んで胸に突き刺さった。“平成”という文字が出た時も胸騒ぎがした。

小渕官房長官が掲げていた文字を書いたのは野呂雅峰という私の知人である。当院の新築移転の折、病院の院是である「恕」や手術室前に掲げた「鬼手仏心」の揮毫をお願いした。その書が今どこにあるのか、院長退任後10余年誰もそのことさえ知る人がいなくなってしまったのは心が痛む。

北海道の気候の変化、それに伴う魚種などの変化を述べたが私の住んでいる京都についても述べたい。

兎に角京都の夏は暑い。蒸し風呂の如く湿気もある。先日、友人の友 人であるインド人が「暑すぎる。身体に悪い」と言ったと聞き驚いた。日本が40度の暑さなら赤道直下のインドは50度位で、そちらの方が問題と思っていたので……。

冬はご承知の底冷えである。最近は温暖化の影響で少し楽になったが、私の学生時代には家庭教師を終えて市電を待つ時など足の裏が凍り付きそうで足踏みしながら電車を待っていた。

また、医師になりたての頃にローンで中古のボローバード(ブルーバードの中古を私達はそう呼び、コロナの中古はボ ロナと呼んでいた)、あの小豆色の憎い奴を手に入れ麻雀で夜遅く高野橋を渡ろうとした時のこと、橋が凍結していたらしく180度回転、あ わやの寸前であった。

悪ガキ仲間も鴨川も京大病院近くの丸太町通りより北は裏日本、 南が表日本と冗談に言っていたが本当だと身をもって感じた。

※本記事は、2020年2月刊行の書籍『令和の改新 日本列島再輝論』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。