私は彼の病を治せる医者でもなければ、自らの心臓を差し出すこともできないのだ。

それから私は1ヵ月近くも頭を悩ませながら、旅に持って行くものを書き出し準備をはじめた。

30を超える項目を何度も見返しながら、80リットルのバックパックにすべてつめこんだ。旅で使うであろう生活用品や衣類をすべてつめこんだにもかかわらず、まだずいぶんとバッグのなかは余力を残していた。

それを見て、自分の荷物はこんなにも少なくていいのかと不安になったが、いざ背負ってみると結構な重さに感じたため、「まぁこんなものなのか」とよくわからない安心感を得た。

緑色のバッグパックは、小さな子どもならば、すっぽりと頭まで入ってしまいそうな大きさだ。これはもともと哲也が使っていたものだったが、これも勝手に拝借した。彼がこれに気がつく頃には、私はもう日本にいない。

まさかこのような形で十数年慣れ親しんだ東京を離れることになるとは思ってもいなかった。私は池袋にある自宅を片付けながら上京してきたころの若かりし頃の自分を思い出し、懐かしく思った。

明日で解約するこの部屋には、もはやこのバックパックしかなく、何もなくなった部屋は殺風景極まりなかった。家具などはすべて売り払い、帰国したときに使う必要最低限のものは北海道にある実家に送った。

この使い古したバックパックに入った荷物が明日から自分の全財産となる。

9年前に新婚旅行でハワイに行くために作ったパスポートは、まだ半年ほど有効期限を残していたが、先が見えない旅にどれだけの歳月が必要なのかわからないため、先日、有楽町のパスポートセンターで更新した。

今、手元にある10年使えるこのパスポートは、どのページをめくってもスタンプはまだ押されていない。

入国や出国のスタンプ数が多くなって、ページが足りなくなることを見越してページを増刷したため、私のパスポートは従来の姿よりも3ミリほど分厚くなっていた。

──数日後。

私は成田国際空港にいた。

1年前、哲也が見ていた光景はこれだったのかと思うと感慨深かった。

空港までは、音楽教室の生徒・緒形が車で送ってくれた。一緒についてきた緒形の妻・静江は「荷物になってしまいますが」と言ってお守りをくれた。

しばらく空港で話し込んでいると、私がギターを教えていた生徒・吉野大樹がトレードマークの金色の髪を振り乱しながら遅れてやってきた。吉野大樹が私の教え子だったことをこのとき初めて知った緒形は珍しく取り乱していた。

さらに遅れてやってきた大谷は、私がなぜ旅に出るのかを最後まで教えなかったせいで終始面白くない顔をしていた。ギターを探すために旅に出るなんて言ったら何を言われるかわからなかったからだ。

納得のいかない様子の大谷だったが最後は痛いくらいの握手と抱擁で私を送り出してくれた。

慣れないフライトは、まさに未知の世界への入り口のように思えたが、この旅のメンバーは自分一人だけではないような気がして、不思議と不安はなかった。

私はさっきまでまっさらだったパスポートを開いてみた。

最初のページに“出国”のスタンプが一つ押されていた。

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『旅するギターと私の心臓』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。