この頃は大した曲も弾けなかったが、ギターを持ち寄ってよく公園で練習した。

写真には当時の懐かしい顔ぶれが一緒に並んでいた。

次の瞬間、この頃の様子がフラッシュバックした。

“昔一緒に買ったギター覚えてるか?”

“ほら中学の頃に二人で一緒に買いに行ったじゃん?”

哲也の声が頭のなかで聞こえた気がした。断片的な記憶が頭のなかで整理されていくのがわかる。あれは、確か年末だ。

足元の悪い雪道…。

自分の横を歩く哲也…。

白い息を吐きながらこのギターを抱えて歩いている様子が鮮明に蘇る。

私はすべてを思い出した。

市内の質屋で二人の小遣いを出し合って買ったことも、どこのメーカーだかもわからない8000円の中古ギターのことも、全財産を使い込んだせいで帰りの電車賃がなくなったことも、雪がちらつくなか、二人で交代しながらギターを持って帰ったことも。

そのときの冷え切った手の感覚ですら、今は容易に思い出せる。

写真から目が離せなかった。そして私は思い立ったように階段を駈け降りた。

「ねぇ、おばさん、もう一回確認したいんだけど、哲也ってどこで倒れたんだっけ?」

リビングにいる哲也の母に尋ねた。

「えーっと、どこだったかしら? でも帰ってきたときはマレーシアから帰ってきたわよ」

「マレーシア?」

私はマレーシアがどこにあるのかもピンとこず、ポカンとしたまま、身動きを止めた。

「お父さん、マレーシアの……何でしたっけ?」

奥にいる夫に投げつけるように哲也の母が尋ねた。

「えーっと、クアラルンプールだよ。でも倒れたのはよその国で、そこで治療して落ち着いてからマレーシアに移送されたはずだよ」

「クアラルンプール? そうですか……」

「それがどうかしたの?」

洗い物を終えた哲也の母が手を拭きながら聞いた。

「いや、ちょっと知りたくって……」

その1時間後。実家に帰宅した私の手には、筒状の大きなサイズの用紙があった。帰る途中に立ち寄った最寄りの本屋で購入したものだ。

私はリビングにある大きな机の上で哲也のバックパックに入っていたA4サイズのノートを開いた。この調べごとを終えたらちゃんと返すつもりで、部屋からこっそり持ってきたものだった。

「シェムリアップ、プノンペン……国境を越えて、ラオス……」

私はぶつぶつ独り言を言いながらノートをめくり、さきほど買ってきた筒状の用紙を机の上に広げた。すると目の前に机を覆い隠すほどの地図が広がった。

アジアの地図だ。

「帰国前はマレーシアにいたって言ってたな」

私はノートに目を移し、近くにあったペンで地図に線を描き始めた。そして何かに憑りつかれたようにノートを見返しては、地図にペンを走らせた。

フィリピンのマニラから始まった曲線。それは哲也が移動した旅のルートだった。

2014年7月。

『外国人の友だちを作る。無料の音楽の学校を作る。ヒッチハイクをする。エベレストに登る。スキューバダイビングをする。外国人とセッションをする。マサイ族に会って一緒にジャンプする──』

哲也のバックパックから拝借したA4サイズの日記帳に挟まっていた四つ折りの白い用紙。そこには、びっしりと彼の『やることリスト』が書き込まれていた。

そのリストは、か弱い女性みたいな字で書かれていて内容に一貫性はなく、とにかく思いついたことを箇条書きしたように見えた。私はそれを丁寧にたたみなおして哲也のノートに挟みこむと、バックの隠しポケットにしまい込んだ。

私は自問自答を繰り返していた。

こんなことをしてもなんの意味もないこともわかっていた。自分のエゴだということも承知していた。でも哲也が命を懸けてまで成し遂げたかった夢の先に何があるのかを見てみたかった。そのためにはまず“あのギター”が必要だ。二人にとって大切な思い出のギター。

それが今、海を渡った“世界のどこか”にある。もし私と哲也が反対の立場なら、あいつは間違いなく海を渡るだろう。

今の私にできることは、もはやそれくらいしかない。

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『旅するギターと私の心臓』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。