第二章 伝統的テコンドーの三つの要素

(十五)ウルチ(漢字表記:乙支)(動作数42)

ウルチとは、七世紀、高句麗に仕えた将軍、乙支文徳(ウルチ・ムンドク)の名にちな んでいる。この型の演武線は、彼の姓をイメージして作られている。

六一二年、乙支は、中国隋軍の侵入から高句麗を見事に防衛した。隋は高句麗に対し圧倒的な軍事数で勝っていたが、乙支は戦うべき時と場所を選び、最小限の戦によって相手の軍隊を制圧し、衰弱させながら彼らを供給地からどんどんと離していった。

隋軍は平壌(ピョンヤン)に進軍 を送り込んでいたが、薩水(サルス)の戦いにおいて、乙支は隋軍を打ち破ることにも成功した。この戦いは、韓国の歴史において最も栄誉に満ちた軍事的勝利の一つとして知られている。

この勝利とともに、乙支は冬まで中国軍を制止することに成功し、その結果、中国軍は食料不足となり、冬の包囲攻撃に耐えられず撤退を余儀なくされた。

こうした功績から、乙支は韓国における最も偉大な将軍と英雄の一人として認められている。

今日、繁華街のソウルにある乙支路という大通りは、彼の名にちなんでいる。また、大韓民国の第二等にあたる乙支武功勲章という名称は、彼に敬意を表して付けられたものである。

(十六)サミル(漢字表記:三一)(動作数33

サミルとは、一九一九年の三・一独立運動を表している。

三・一独立運動とは、日本の韓 国併合における弾圧に対する抵抗の表れであり、米国大統領ウッドロウ・ウィルソンによる「14 か条の平和原則」が引き金となった。

これは一九一九年一月、パリ講和会議におい て宣言されたもので、国家の「民族自決権」について述べられている。

 一九一九年三月一日午後二時、三・一独立運動の代表者三十三名は、ソウルにある料理店、泰和館(テファグァン)に集い、歴史家、崔南善(チェ・ナムソン)によって起草された 独立宣言書を朗読した。

三・一独立運動の指導者は、宣言書に署名し、その複写を総督府へ送付した。独立宣言書は以下のように記されている。

「われわれはここにわが朝鮮国が独立国であること、および朝鮮人が自由民であることを 宣言する。これをもって世界万邦に告げ、人類平等の大義を克明し、これをもって子孫万代に教え、民族自存の正当なる権利を永遠に有せしむるものである。

半万年の歴史の権利によってこれを宣言し、二千万民衆の忠誠を合わせてこれを明らかにし、民族の恒久一筋の自由の発展のためにこれを主張し、人類の良心の発露にもとづいた世界改造の大機運に順応し、並進させるためにこれを提起するものである。

これは天の明命、時代の大勢、全人類の共存同生の権利の正当な発動である。天下の何ものといえどもこれを抑制することはできない

三・一独立運動の活動家たちは、この宣言書に署名した後、警察を呼んで自らの行為を伝え、その後逮捕された。

しかし、その運動に関わる多くの参加者たちは、複写された独 立宣言書を公の場で朗読し、多くの人々が平和的方法をとってデモ行進に参加するようになった。

そのデモ行進は次第に増大し、日本警察は群衆を抑えきれなくなり、軍隊や海軍の支援を要請するまでに至った。そしてデモ行進は次第に暴徒化し、韓国市民のなかに多くの逮捕者と死傷者を生み出す結果となった。

三・一独立運動は、韓国において独立運動を引き起こすきっかけとなり、一九一九年四月、 上海で大韓民国臨時政府が結成された。三・一独立運動後、活動家らは日本政府によって追われたり、逮捕されたりした。また指導者の多くは祖国を去り、満州、上海そしてその他中国の地域において独立運動を続けた。

一九四九年五月二十四日、韓国において、三月一日は祝日と指定された。つまりこの型の三十三の動作数は、独立運動を計画した三十三名の愛国者を表している。

※本記事は、2020年5月刊行の書籍『人の道 伝統的テコンドーの解釈』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。