(これで全部かな? あいつこんなもん担いで旅してたのかよ……ん?)

バッグの背中の部分に奇妙な膨らみを見つけた。

(何だ? この膨らみ? なんか入っているな。でも、これってどこからアクセスするんだろう?)

私は手探りでポケットの入り口を見つけると、そのなかに入っているものを引っ張り出した。出てきたのは少しくたびれたA4サイズのノートだった。

好奇心に負けて恐る恐るノートを開くと、それは哲也の日記帳だった。

私は一度ノートを閉じて、誰もいないはずの部屋を見渡した。それからもう一度ノートに目を移した。そこには哲也の書いた文字がぎっしりと書き込まれていた。

移動のバスの時間や泊まった宿のレビューから、安くて美味しいローカルレストラン、危険なポイントなど事細かに書かれており、それはまるで1冊のマニュアル本のようだった。

ノートは語学の習得や作曲にも使っていたと思われ、ところどころに英語の歌詞やコードが書きこまれていた。

ふと、彼の見た世界が自分のなかに流れ込んでくる。ページをめくるたびに血が沸き立つような熱い何かが身体をめぐった。私はノートを通じて哲也のいた世界に入り込んでいた。

「祐介君?」

後ろから大きなビニールの袋を持って現れた哲也の母が不思議そうにこっちを見ていた。

驚いた私は、とっさにノートをテーブルの上に置いた。

「どうかしたの?」

「いえ、何でもないです……」

階段を上ってくる音にすら気がつかなかった私は、動揺するようなそぶりを見せながら言った。

「おばさん、あんまり汚れたものがないから、たぶんそれ使わないよ」

そう言って話をそらすように哲也の母が持ってきたビニール袋を指さした。

「あら、本当に? 変な虫とか出てこなかった?」

「うん、大丈夫。あいつ結構、神経質で綺麗好きだったから……」

私は手に取ったヘッドライトをカチカチとつけたり消したりしながら言った。

沸き立つような感覚はまだその手に残っていた。

〈宇山祐介の事情〉 安物のギター

数日後、私は気持ちを整理して哲也の見舞いに再び訪れた。

病室のカーテンをめくると、彼はベッドの上で先日来たときと変わらない姿勢でいた。前回と違って薬が効いていない状態だった彼は、まどろんだ様子もなく、ゆっくりだが話ができるようになっていた。しかし、つい最近まで世界を飛びまわっていた元気な男の姿はそこにはなく、自由を奪われたような彼の姿が不憫でならなかった。

ベッドに横たわる哲也は天井を見つめていた。

「俺さ……旅にあのギターを持って行ったんだ……ほら、昔二人で金出しあって買ったやつだよ。あれさ、倒れたときにどっかいっちゃったみたいでさ……。失くしちまったみたいなんだ」

哲也がギリギリ聞き取れそうな声で、何の前触れもなく話し始めた。

「あのギター?」

私は最初、聞き違いをしたのかと思った。なぜなら、哲也が言う『あのギター』がどのギターのことなのか、わからなかったからである。ひょっとしたら薬のせいでまだ虚ろなのかもしれない、と私が困った様子で考えていると、

「ほら中学の時、二人で一緒に買いに行ったじゃん? 雪のなか買いに行ったやつだよ」

と哲也はいくつかヒントをくれたが、残念ながら私にはまったく思い出せなかった。

「ギター、失くしちまってすまない……」

哲也は声を絞り出すように言った。

「いいって、そんなもんまた買えばいいんだよ。それに実は俺、そのギターのこと覚えてないんだ」

と私は正直に切り返すと、哲也は少し悲しい顔をした。

「すまん、哲也」

「いや……いいんだ」

話すことがなくなり、私は黙り込んでしまった。いくつか話題を用意していたのだが、話せるような雰囲気ではなかった。

「すまない」

沈黙を破るように哲也は謝った。

そして何度も「すまない」と繰り返した。

「哲也。だからいいって……」

哲也の言葉に割り込むようにして、私は言った。

「全部……全部中途半端になっちまったなぁ……教室も……旅も……」

悔しそうに声を震わせて哲也が言った。目じりに溜まった涙がこぼれていた。涙の意味がギターを失ったことではないことはわかっていた。

心臓に疾患を持つ自らが旅をすることで多くの人にその存在を知ってもらうきっかけを作ろうとしていた。そして、そんな馬鹿げたことをすることで自分と同じ境遇の人たちに希望や可能性を与えようとしていた。賢い行動ではなかったかもしれない。だがそれが彼の導き出した答えであり、生きがいだった。

その希望を絶たれたのだ。私にはかけてやれる言葉が見つからなかった。

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『旅するギターと私の心臓』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。