Ⅱ 『古事記』を歩く

── 紀行による「神武東征伝承」史実性試論

序 謎の古代歌謡
── 阿米都都 知杼理麻斯登登 那杼佐祁流斗米

日本人は働き過ぎだと非難を浴びて休むことが奨励され、週休二日制の導入をみた。その恩恵で──こういうと組合活動をしている人には叱られそうだが、恩恵にしろ、権利にしろ一週間に二日休めるのはとにかく有難い。

──休日の一日を自己啓発にふりあてることにした。ちょうど日本を見直す気運が芽生え、比較的肩の凝らない昔語りでも勉強しようと、今はやりのカルチャーセンターなるものに通うことにした。テーマは「古事記を読む」。

平日の午前中ということもあり、子育てが一段落した知的探究心の旺盛な婦人連の中に交じって、異質な中年男子が一人。気恥ずかしい思いもしたが、払い込んだ月謝がもったいなくて、ともかく規定の回数顔を出すことにした。

『古事記』は高校・大学時代に断片的には頁をめくったこともあったが、体系的に順序立てて読むのは初めてである。神話の巻は曖昧模糊としている面が多く、中巻の神武記から開始することになった。言うまでもなく神武は国家創業の説話を持つ人物である。

ただ、それは今次大戦前の歴史的認識であって、戦後の史学においては、その後の八代(綏靖~開化)を含めて、実在を否定された天皇となっている。読み進む中で次の一節に出会った。

すなわち神武が大和入りした後、白檮原(かしはら)宮に宮居を定め、在地の伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)を正妃に迎える段で、その使者に立った大久米ノ命(オオクメノミコト)のいでたちをみて、伊須気余理比売が尋ねる形をとっている。

ここに、大久米ノ命、天皇の命(めい)をその伊須気余理比売に詔(の)る時に、その大久米ノ命の黥(さ)ける利目(とめ)を見て、奇(あや)しと思ひて、歌ひたまいしく、阿米都都(アメツツ) 知杼理麻斯登登(チドリマシトト) 那杼佐祁流斗米(ナドサケルトメ)

(読み下しと通釈は武田祐吉訳註『古事記』による)

「アメツツ チドリマシトト」は語義不詳。「ナドサケルトメ」は「など黥ける利目」で、「どうして目に黥(いれずみ)をしているのですか」と解釈されている。

大和側の住人である伊須気余理比売にとって、大久米ノ命が眼の裂け目に入れ墨をしているのが不思議に思え、問い質しているのである。ということは、そのままに解釈すれば大和側には当時目の周りに、入れ墨をする風習がなかったことになる。

『魏志倭人伝』には倭人の習俗として「入れ墨」に関する記述がある。その東夷伝序文に「異面之人有り、日の出づる処に近し」と記し、倭人伝の中でさらに詳細な形で次のように述べている。

男子は大小となく、皆黥面文身(げいめんぶんしん)(=顔と体に入れ墨をすること)す。古より以来(このかた)、其の使の中国に詣るや、皆自ら大夫と称す。夏后少康の子、会稽に封ぜられ、断髪文身して、以て蛟竜(こうりゅう)の害を避く。今、倭の水人、好んで沈没して魚蛤を捕え、文身して亦た以て大魚・水禽(すいきん)を厭わしむるに、後稍稍(やや)以て飾りと為す。諸国の文身、各々異なり、或いは左にし或いは右にし、或いは大にし或いは小にして、尊卑に差(しな)あり。

まさしく神武記の一文に対応した記事と言えよう。『古事記』の言い伝えが事実とすれば、その記述の如く、神武勢力は九州からの侵略者であり、『魏志倭人伝』が語る黥面文身の習俗は九州地方の描写であるとは言えまいか。

いずれにしても、政治的・軍事的に見て異質な文化圏の勢力が大和側に侵入してきたことは否めない。そんな疑問を抱きながら、神話伝承の地・宮崎に向かった。

※本記事は、2019年7月刊行の書籍『神話の原風景』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。