壱─嘉靖十年、漁覇翁(イーバーウェン)のもとに投じ、初めて曹洛瑩(ツァオルオイン)にまみえるの事

(4)

本当だろうか。いったい、どんな人に会えるのだろう?

早春の午後ではあったが、ときおり北風が吹きおろすと、刺すような肌寒さを、おぼえた。まだ、坤(ひつじさる)の刻にはだいぶ間がある。

通りには、いろんな匂いがたちこめていた。饅頭(マントウ)を蒸し、大餅(タービン)を焼いて、小麦の香りをただよわせた店。じっくりと米をたき、牛乳をあわせた粥(かゆ)の店。韮(にら)とにんにくのみじん切りを乗せ、辣(ラー)油をたらした湯豆腐の店。

小腹をすかせた男たちが、あちこちの店を冷やかしながら、何をたべようかと、品さだめしている。正戸の身分を手に入れるため、私は食事の回数をへらしていた。銀を節約するためである。

しかし、倹約、我慢、我慢……と言いきかせても、食べ物屋の前を通ると、視線が勝手にそっちへ行った。朝粥をすすっただけで何も食べていなかったし、春は腹がへる季節なのかもしれなかった。

はたから見ると、私はかなり、あやしい動きをしていたのではないかと思う。そのうちに「牛肉麵(ニウロォミィエン)」の幟(のぼり)をたてた店のじいさんと、目が合ってしまった。じいさんは、勢いよく水をかくように、手まねきした。

「宦官さんよゥ、もう仕事はあがりか? だったら、うちで食べて行きなイ」

私は徐繍(シュイシウ)の教えを守って、豕(ぶた)の骨から湯(スープ)を炊いていたが、本場では、牛の骨をつかうともきいていた。ためしてみるか? ……いや、だめだ。正戸になるためには、一銭をもおしんで倹約しなければ……だが、この空腹を如何せん。

「はいよ、お待ち」

かたわらに立っていた客のひとりが、どんぶりをうけとるなり、豪快に麵をほおばっては、ずずずと湯(スープ)をすすり込んだ。こういう姿を見てしまうと、もういけない。

私は、ふところをさぐって、財布をにぎりしめた。あった――出かける前に入れておいた銭が。

「大盛りもできるぞ。一銭増しだけどな」
「じゃ、じゃあ、大盛りをたのむ」

はたして、銭の力は偉大だった。かじかんだ手で、永楽銭を差しだすのとひきかえに、どんぶりを受けとった。

黄金色のスープに、細く打った麵。その上には、唐辛子にまぶして焼いた牛肉と、ねぎが浮かんでいる。

スープを一口すする。うまい――ああ、世の中に、こんなにうまいものがあったか。夢中で、麵をむさぼり食った。

※本記事は、2018年12月刊行の書籍『花を、慕う』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。