研究ノート・1

現存する二倍年暦

── インドネシア(バドイ)からの報告

日本語学校の学生募集と面接の仕事で、バングラデシュとインドのコルカタ(旧カルカッタ)を訪れた折、同行した元新聞記者のT先生から現役時代の取材話を伺いました。

経験豊富な先生の話が中心でしたが、たまたま話題が古代史に及んで、私が古田武彦氏が『「邪馬台国」はなかった』で提示された「二倍年暦」について解説をしたところ、T先生から思いもよらぬ反応が返ってきました。

もう三五、六年前──一九七〇年代の前半──になりますが、T先生は「世界の長寿村を訪ねて」という新聞の連載企画でインドネシアのある村を訪ねました。

その村は、首都ジャカルタから一二〇キロほど離れた西ジャワのバンテン地方というところにあり、少数民族のバドイ族が住んでいます。

当時、その地域は治安が不安定なため、行き来には軍隊による警護が付いたそうです。また、サソリと(マラリア)蚊に悩まされ、取材が終わった途端、逃げ帰るように帰途についたとのことでした。

ホテルのような洒落た宿泊施設があるわけでもなく、前夜は手前の村の集会所のようなところに泊まり、翌日医師にカメラマン、通訳二人──いわゆる重訳、一人は日本語の、もう一人は現地語(古い方言の交じったスンダ語)の通訳──を従えて取材が始まりました。

一五七九年のイスラム侵略により滅亡したパジャジャラン王国の末裔といわれるバドイ族はヒンズー教の強い影響下にあり、頭にはターバンというのか鉢巻様の被り物をして、山の上方とふもとに二つの部族が分かれて住んでいます。

山の上の方はバドイダラム(ダラムはインドネシア語の「中」という意味)といい、そこに住む人たちはいつも白い服を身につけています。

また、そのバドイダラムを世間から隔離する形で、山のふもとにはバドイルアル(ルアルは「外」という意味)が住んでいます。取材はその二つの部族の境界線のあたりで行われました。

調査を開始して間もなくすると、住民の診察に当たっていた医師が首を傾げながら話しかけてきたそうです。

その医師の説明によると、現地で八〇歳といわれている人は、どう見ても肉体年齢というか、健康状態は三七、八歳にしか見えない。見た目も若々しい。また、一〇〇歳を超しているという人物は、せいぜいその半分の五〇歳前後だろう、という。

さらに詳しく聞いていくと、はっきりとした理由は分からないが、その地域では「一年に二つ歳をとる風習が残されている」ということが判明して、この取材は公表を見ずに中断してしまったそうです。

せめて番外編として、その風習の一端でも紹介されていたら、と私は非常に残念でなりませんでした。

旅行の帰途、T先生は「家に残っている取材記録を探してみるよ。ただ退職に当たって結構整理をしたものだから、残っているといいのだが。何か分かったら連絡しましょう」とおっしゃって、成田で別れました。

※本記事は、2019年7月刊行の書籍『神話の原風景』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。