考察・選手

2 大仁田厚の定時制高校時代とドッキリ!

2019年6月15日(土)

私が、昔、初めてプロレスを見たのは、アントニオ猪木が、あまりのドン・フライの暴挙にリング下から、リングに上がり怒っているというシーンだった。しかし、ある深夜に、新日本プロレス、1999年1月4日、東京ドーム大会がテレビで放送されていて、佐々木健介―大仁田厚の試合がやっていた時、大仁田が健介の顔に火炎を出して、大仁田の反則負けになった試合が、私が継続的にプロレスを見始めるきっかけの試合である。

その後、蝶野正洋を知り、武藤敬司を知り、新日本を知り、WWEやWCWを知り、どんどんプロレス界を知って行った。私が大仁田を知ったのは、もっと前かもしれないと思っている。大仁田は、健介、蝶野、グレート・ムタ、長州力、国会議員……という順序のはずだからだ。

何を言いたいかと言うと、私が学生時代に、大仁田は定時制の高校で昼間は若い生徒達に交じって勉強をしていたと思う。夜はプロレスラーとして活動していたのではないだろうか?

今じゃ、そんなに珍しいことではないかもしれないが、当時の30代、40代位の大仁田が、10代の高校生に交じって勉強していたのはとても印象にある。その中で、若い生徒達の話し相手や友達をたくさん作ったのだろう。

私はテレビの「ドッキリ!」の番組を見ていたが、大仁田と同じ学校にいた生徒が、何があったのか理由はわからないが、屋上に駆け上がり、屋上から飛び降りた。大仁田が「待て!」と言いながら、屋上に辿り着くと、その生徒は飛び降りた後だった。慌てて大仁田が屋上の下を覗くと、屋上の下に降りられるスペースがあり、その生徒はそこに着地していたというタネだった。

「ドッキリ、成功!」である。大仁田は構わず荒れた。パイプ椅子を次から次へと投げて、怒りを露わにした。大仁田は騙されたことは知っているのだが(笑)。

プロレス外で言うと、国会議員の時、国会が乱闘状態になると、大仁田が中心で、守り役、ガード役になって頑張っているシーンも見た。

猪木は“神”、大仁田は“毒”と言われる。猪木は大仁田を好いてはいない。一方の大仁田は猪木が嫌いではないようだ。

2人共行動力が凄い。猪木は、大きいことまで実現しようとする壮大なスケールがある。大仁田はパンツとシューズがあれば、プロレスはできると言い、今では珍しくないかもしれないが、実際に外国でプロレスの興行をした。大仁田は今「ボランティアレスラー」として活動中だ。

※本記事は、2020年7月刊行の書籍『アイディア・プロレスコラムDX』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。