Ⅰ『魏志倭人伝』を歩く

── 帯方郡から女王国へ、魏使の足跡を辿って

五 「女王の宮殿」の所在 ── 春日市長に宛てた手紙

博多在住の友人から、開催中の特別展「奴国王の出現と北部九州のクニグニ」の記念カタログが送られてきた。十五年ほど前に訪問したときの様子を思い出しながら、懐かしく又楽しく拝見しました。

東京に住んでいると、なかなか思いつくままに出かけるというわけにもいかず、残念でなりません。さて、特別展のカタログを見ていてどうしても気になった点について、二、三申し述べたいことがあり筆をとりました。

「奴国王」とは

『魏志倭人伝』によると、倭国には女王がおり、伊都国にも「世々王有り」とありますから、「伊都国王」という表現には納得がいくのですが、奴国に王がいたという事実は、中国の文献上──少なくとも日本の三世紀について記された『魏志倭人伝』──には存在しません。

志賀島から出土したという金印については、「漢ノ委ノ奴ノ國王」という読み方自体が見直しを迫られています。資料館に隣接する須玖岡本遺跡は出土物の内容から見ると、王墓級であり、そこから「奴国王墓」という表現を用いたのでしょうが、この地を「奴国」とする限り、女王の都する処=いわゆる「邪馬台国」=『魏志』に云う「邪馬壹国」は永遠に発見できないでしょう。

以前、古代史ツアーで春日市立埋蔵文化財収蔵庫・民俗資料館を訪れたおり、好々爺然とした亀井館長に「卑弥呼の墓は、どこにあったと思われますか?」と尋ねてみました。すると、亀井さんは相好をくずして、ただニコニコと頷いておられました。

その表情から、「それは、いまお前さんが立っているところだよ」と無言でおっしゃっているように受け取れました。そういう場所にあって、地元の方が「奴国の丘」などと命名されるのはいかがなものでしょうか。

『魏志倭人伝』の正しい解釈を

『魏志倭人伝』の里程について、未だに連続式だとか放射線式だとか、不明瞭かつ不確実=主観主義史観に立った解釈が繰り返されています。この資料館にこそ、時代をリードする正しい読み方が提示されてしかるべきではないでしょうか。

さまざまな資料を突き合わせていくと、博多の南郊にこそ、卑弥呼の宮殿と陵墓があったと推定されます。私の友人は古代史には門外漢ですが、その直感でここが「福岡平野の、扇のかなめの位置を占めている」と看破しています。今度訪れるときには、ぜひ「古代の真実について」正しい姿を発信してほしいと願っております。

(二〇〇〇年十一月十九日)

※本記事は、2019年7月刊行の書籍『神話の原風景』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。