第一部

そんなある時、ある知り合いの小作人に泣きつかれ、ついつい借金の保証人になったことがあった。ところが、その小作人は博打に手を出して大損したのだった。

その保証人になって印をついたものだから、大変である。まもなく博徒の数人が純之助の所に取り立てに押しかけてきた。

びっくりした純之助は、「そんなことで保証人になったわけではない」と一旦はつっぱねた。実は、その小作人は収穫が減り、生活費も工面できないほど困っていると、涙を流しながら切々と訴えたのであった。

しかし、博徒はそんなことには一切お構いなしだ。ドスを純之助の顔面に押し付け脅しにかかった。

騙されたと悔やんでも後の祭りである。かくして、やむなく多額の借金の肩代わりをするはめになったのである。そ
の一件以来、純之助は相当慎重になったようで、度助の方が「いい経験になったな」と、ほっと安堵したものだった。

しかしながら、農作物の収穫は、いまの時代でも天候などに左右され、収穫量が減ることも多い。ましてや、技術的にも未熟な江戸時代では、害虫にやられたりして不作も頻繁に起こる。

中でも、大規模に生じるのが高梁川の水害によるものである。この頃には、高梁川の堤防もいまよりも低く、かつ、脆弱で決壊しやすく災害に弱かった。

だから、梅雨とか夏の時期に長雨が続いた時、さらに台風襲来時などには大小の違いがあっても堤防が決壊して田畑が水没し、収穫ゼロになることだって時々起こる。

市場村でも、中央を貫くように流れる末政川がまず小田川に流れ込むが、その小田川はすぐに高梁川へと合流する。その高梁川の水かさが増すと、流れにくくなったり、却って逆流したりして、下流域の低い土地が水害に遭うことが数年に一度は起こっていた。

こんな時には、管轄内の自作農、小作農と言わず、収穫不足から多額の借金を抱える農家が幾軒も出て、そういう困った人たちの相談に乗り対処しなければならない。

言ってみれば、それが庄屋の仕事の一つでもある。純之助の性格を知っている庄屋の責任者、藤左衛門は、常に年配
の度助を同行させて事に当たらせていた。

それは、不用意に保証人になったりしないようにとの配慮からだ。

※本記事は、2019年8月刊行の書籍『高梁川』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。