第3章 AI INFLUENCE

第6項 責任

2 顔の見えない人たち

ところで、旧くは鉄の時代から、価値判断を示すことを一途(いちず)に極力避け、当て嵌めの正統性をひたすらに唱える本家がいたことを思い出した。時おり記憶に乏しいところも偶然似ている。官僚だ。

官僚は、責任を問われたとき、自らが何を思い(重視して)それを行ったかを決して述べない。「~法、第~条に従い、正しくそれを行いました。」と能面の様な表情で機械の様に繰り返す。

官僚は顔を持たない。故に選挙で選ばれることはない。国家のシステムに則(のっと)り、法を正しく執行するのが官僚だ。

政治家は対称的に、価値判断を示す。国家100年の計に照らし、国家像を描き、その国家像を現す為の手段として、高らかに政策を謳い、厳として立法を行う。政治家は顔を持ち、任期を区切り、総括としての選挙にさらされる。

官僚の存在は決して有害ではない。今も昔も、法治国家の繁栄に欠くことの出来ない才能集団だ。

このところ世には、時にヒステリックな官僚バッシングも見られるが、問題なのは官僚の在り方ではなく、政治家の不在だ。官僚は今も昔も変わらず、法の誠実な執行(当て嵌め)を行ってきた。

ただ、その機械的伶悧な仕事が生かされたのは、大まかな力強いタッチで描かれた国家の未来予想画を、自らの意思と責任で打ち出す政治家がいたからだ。そのやや細かさに欠ける図面を精緻化し、具現化し、実利に変えてきたのが官僚の役割だった。

が、今や国家システムは過度に成熟化し、短期の数字が支持率であれ実行率であれ示され、政治家を縛る。個々の人間が自らの判断を未来に責任を追う形で打ち出す気概を失ってしまった。

与党議員は行政の主たる内閣府の追認機関となり、野党議員は政権を担うまで威勢よく与党の反対論を述べる。都の責任者が決定プロセスをマスコミに問われ、「人工知能が決めました。」と微笑んだ。笑えないほどに洗練された冗談だ。

官僚が野党の追及を受ける場面が国会質疑やその日のニュースで流れる。然るべき立場の人がいささか品格を欠いた野次に曝されながら壇上に立ち、「~法の手続きに即して正しく行われました。」と時間いっぱい繰り返す。その自らの判断を示そうとしない立ち振る舞いに、「何足(なんた)る他人事(ひとごと)!」と憤る人も少なくないようだ。

しかし、私はその官僚たちの立ち振る舞いは、彼らの能力に照らし、極めて人間らしいものだと考える(※本稿のこの部分は2017年の冬に書かれたものである。年明けて官僚の深刻な不祥事が立て続けに明るみに出て批判に晒された。本稿は生(なま)の政治論を主目的としないため深入りはしないが、このところの“記憶の確認作業”とやらに明け暮れる官僚の立ち振る舞いまで擁護する趣旨ではない。考察は、良識ある一般的かつ本来的な官僚についてのものとして読んで頂ければ幸いだ)。

※本記事は、2018年12月刊行の書籍『人間を見つめる希望のAI論』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。