第一章

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雨水今日子は十二歳のときに父と弟を水難事故で亡くしていた。家族で海水浴に行き、ボートで遊んでいたときに高波が親子を襲ったのだ。

その日はあいにくの曇りで人手が少なく、親子が乗っているボートの近くには誰もいなかった。今日子の父、雄介は学生時代には有名な水泳選手だったようだが、その雄介でもボートを立て直すのが困難なほど海は荒れていた。最初に溺れたのは今日子だった。

ボートをあきらめた父、雄介は、娘の体を引き寄せ近場の岩場まで泳ぎ、波が来ない場所に寝かせてから、弟、聡の救出に向かった。雄介と聡は生きて大地を踏むことはなかった。遺体が発見されたのは事故発生から三日後のことだった。

浜辺で日光浴をしていた母、星乃はその事故のあと、精神に変調をきたした。星乃は現在も精神科に通院している。

その後の生活は、星乃が水商売をしながら何とかしていたようだが、それでも家計は苦しかったらしく、今日子は高校生の頃からアルバイトに明け暮れていた。今日子は高校を卒業すると、故郷である静岡県を出て、N大学の芸術学部に入学した。そこで演劇と出会った。

生活費は、寿司屋のアルバイトと、イベントのキャンペーンガールの仕事などで何とかしているようだった。見たところ派手ではなかったが、貧しそうでもなかった。大学は一年で中退していた。よほど演劇の魅力に憑(と)りつかれたのだろう。

中退した今日子の選んだ行き先が、現在、劇団員として在籍している『幻影機関』である。そしてあの男と出会った。河合幸一。

カリスマ演劇人で、名うてのチャラ男。博昭は何度か実物の河合を見ていた。今日子を尾行しているときに見かけたのだ。

茶色く染めた髪にサングラス。背丈も博昭よりさらに高い長身。立ち振る舞いもハリウッドの俳優気取りで、いつも人に見られていることを意識しているような男だった。

不倫。

バカな女だ。ただのバカか? 悲劇のヒロイン気取りか? それとも退廃的な快楽が好きな変態か? 男もクソだがあの女もクソだ。おとなしそうなツラして、あんなペテン師とセックスしてやがる。

博昭にはわからなかった。今日子の気持ちが理解できなかった。

※本記事は、2017年12月刊行の書籍『永遠と刹那の交差点に、君はいた。』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。