第二章 渡来人に支配された古代ヤマト

7.ユダヤ系同士の覇権争い

伊都国王の三種の神器や綿津見神について述べていたが、続けて伊都国周辺の出来事を扱っていく。「金印」のことである。

「漢委奴國王」金印は、漢の代理人である伊都国王に与えられた、いわば中華圏の東の端っこで頑張っていることの、存在証明みたいなものである。従ってその出土が、海人族阿曇氏の本拠地である志賀島からであったのは、自然な成り行きである。

先述のように阿曇氏=秦氏=伊都国王であったから、伊都国王への下賜品である金印は、阿曇氏の志賀海神社に安置されることはあり得ることである。しかし「親魏倭王」の金印は卑弥呼に与えられたのであるから、在るとすれば邪馬台国があった三輪山周辺であると思われる。

また台与が中国側に返還した可能性だってあるかもしれない。あれこれ想像するのも、歴史を学ぶ楽しさである。

伊都国王の間接支配下にあった投馬国(出雲国)が、実質的な覇権国として倭国に政治権力を行使するようになると、その軍事力を抑える必要が生じてきた。当時の出雲国は十月になると他の国々の首長を集めて、出雲の覇権を再確認する恒例行事を行うなど、伊都国王には無礼な振る舞いが多くなった。

出雲では神在月(かみありづき)であるが、出雲以外の国々では首長クラスが不在[神無月(かんなづき)]になって、困った事態が起きることもあった。もちろんこの「神在月・神無月」は俗信であって事実ではないかもしれないが、出雲国の傲岸さを裏付けるものであると思われる。

伊都国王は、遂に軍事的行動にでた。魏の支援を受けた騎馬民族首長の崇神を、任那から呼び寄せ、出雲に対し国譲り戦を仕掛けた。ユダヤ系の伊都国王は、同じくユダヤ系の武将を先頭に立てて、戦端を開いたのである。

「神在月」のような出雲のわがままは、史料的には筆者の想像であるが、「ユダヤ系の武将」や「国譲り戦」は、『記紀』神話などで確かめることができる。その武将の名前は、建御雷之男(たけみかづちのをの)神である。

「出雲との戦いには誰を遣わすべきか」、と問う天照大御神に対し、思金神たちは「伊都之尾羽張神か、またはその子建御雷之男神がよい」と申し上げた。そして父の伊都之尾羽張神は、息子の方が適任であると答えたのである。

「恐(かしこ)し、仕(つか)へ奉(まつ)らむ。然れどもこの道には、僕(わ)が子、建御雷(たけみかづちの)神を遣はすべし。」

こうして建御雷之男神は、対出雲戦の責任者に就いたのだが、『古事記』には、彼の別名が二つ出て来る。「建布都(たけふつの)神」と「豊布都(とよふつの)神」である。

火の神「迦具土(かぐつちの)神」を生んだことによって、イザナミは死んでしまう。怒り悲しんだイザナギは「十拳劔(とつかつるぎ)」を抜いて、その子迦具土の頸(くび)を斬ってしまう。その血から生まれたのが、建御雷之男(たけみかづちのをの)神なのである。

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『ユダヤ系秦氏が語る邪馬台国』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。