第3章 ストレスは、たぶんあなた自身が作り出している

①30歳にとってのストレスの正体​

事例3.)新米教員にとって学生のレポート添削は自分との戦い

私は、声の出ない審査会事件がありながらも、無事に、というか、どうにかこうにか、大学院修了と同時に学位を取得することができました。その後、私は、幸運にも母校の大学教員になりました。

ビジネスパーソンとして、集団で仕事をすることには慣れていましたが、大学教員という職業は、チームプレイではありません。1年目の新米教員の時から、よく言えば、独り立ち、端から見れば、危なっかしい若葉マーク運転の教員です。教育指導法を学ぶこともなく、見よう見まねで教え方を身に付けなくてはなりません。

心理学を学ぶ学生にとっては、心理学実験実習という必ず通らなければならない必修科目があります。これが意外と大変で、学生にとっては、毎週ある実験や心理統計そしてレポートは苦痛の種です。

一方、それを教えている教員は、全員のレポートを添削した後、評価をして返却しなければなりません。私も、担当者のひとりでした。

この実習科目では、研究の仕方と論文の基本的な書き方を習得させるために、ひとりひとりのレポートに赤ペンで添削をします。多いときは60名余り。ペンだこができるほど、赤を入れますが、次回の実験レポートは、また同じ間違いをしています。

それでも私は、学生が4年生になって、卒業論文を書く時に困らないように、論文の書き方を理解して欲しくて、ひたすら赤を入れました。返却の前日には、徹夜をしたことも何度もありました。いつしかレポートの添削は、私にとって手抜きはできない、やらねばならない仕事となり、自分で自分の首を絞めるストレスになっていたのです。

もちろん私からすれば、学生のためを思い、よかれと思って取り組んだレポート添削ですが、現実には、全員の学生が同じレベルで、真っ赤になったレポートのフィードバックを欲しているわけではなかったのです。徹夜までして、ヘトヘトになりながらレポート添削をして私が学んだこと、それは、相手を見て法を説け! だったのです。

とは言え、レポート添削を多少手抜き、いいえ、ショートカットしたところで、定時に帰れることはなかったでしょう。大学の仕事もそれなりに忙しい。

※本記事は、2020年3月刊行の書籍『Over Thirty クライシス』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。